磁器口 Get link Facebook X Pinterest Email Other Apps - Monday, October 10, 2016 かねがね古い中国に出会いたいと思っていた。 CYBERWORLDS2016の開催地、重慶の近郊に「磁器口」という古代からの陶磁器の生産地跡があって、石造りの家々が斜面を覆うように並んでいる。ウプサラ大学の林先生と空き時間にぶらぶらと訪れてみた。坂をのぼったりおりたりするたびに、景観がさまざまに変化する。やっと中国の情緒というものに触れられたような気がする。 Get link Facebook X Pinterest Email Other Apps
通じ合ってるはず - Sunday, March 20, 2016 柴又かなん亭の置物 シーザー もうすぐ大学は新学期。今日は、北京から留学生が6人来日。羽田から八王子のアパートまで、リムジンバスの道中を共にした。みんなアパマンとかレオパレスとかを通じて、中国から入居申し込みをして来た。初めて日本に来て、すぐに鍵を受け取れるというのはすごい。お互いの信用を確かめられる世の中になったのだ。知らず知らず、グローバルに風通しの良い世界になっている。 昨年、北京へ行ってみてよくわかった。今の中国の若者たちは、日本の良さを沢山知ってくれている。アニメやゲームはもちろんだが、美味しくヘルシーな日本食や観光地、歴史的な場所の名前など、本当によく調べて知っている。日本の若者と中国の若者は、言葉を超えてどこかで十分に通じ合っているはずだ。 今や、日本は家電や自動車などで、世界をリードする立場にはなくなりつつある。崩壊する社会保障、失速する産業経済、環境汚染などたくさんの難題。 でも、まだまだこれからだ。今回もきっと若い世代が、新しい時代を切り拓いてくれるだろう。明治維新のときと同じように。さてそうなると問題は、むしろ僕たち親父世代が若い世代をどのようにサポートできるかだ。山内容堂、島津斉彬、幕末の賢候のようになれるかなー。 つづきを読む >>
二セットある - Tuesday, January 09, 2018 ホットコーヒーが飲みたくて、大学のロビーにある自動販売機に110円入れました。コーヒーが出てくるのを待つあいだ自動販売機のパネルを見ながら変なことに気がつきました。 「同じキリマンジャロのボタンが二セットある!」 「キリマンジャロのブラック」「キリマンジャロの砂糖入り」「キリマンジャロのミルク入り」「キリマンジャロのミルク砂糖入り」 これら4つのボタンが、まるまる二セット(つまりぜんぶで8ボタン)あるのだ。一体なんのためだろう? 右の「キリマンジャロ」と左の「キリマンジャロ」とでは、豆の種類がちょっとだけ違うのか? それとも、コーヒーの豆が別々のケースに入っていて、片方が売り切れてももう片方のボタンを押したら出てくるようになっている? 片方は、急いでいる人用の「早出し」ボタンとかだったりしたらすごいかも。 今度、自動販売機のメンテナンスでドアが開いている間に、のぞいて確かめて見たいと思います。 中はどうなっているのかちょっとワクワクします。まあ、おそらくボタンが余ったので、人気ありそうな「キリマンジャロ」に二セットのボタンを割り当てただけでしょうが... 話は違いますが、シクラメンの花鉢も、 違う種類を二セット並べておくと可愛いですよね。 最近はトイレットペーパーも二セットある場合が多いようです。どちらかが無くなったときの用心でしょうが、これも二種類おいてあったら楽しいですね。色違いとか。 新年早々、暇な話で失礼いたしました。 まだ、頭がお正月モードですね。 つづきを読む >>
九方皐 - Friday, December 18, 2009 馬が特に重要な国力の一つである秦国の穆(ぼく)公の時のこと、ある日、公は名馬を見抜く名人である伯楽を呼んで「お前も年をとった。お前の一門に馬を相(み)させられる者があるか」と聞いた。 伯楽は「自分の子供はみな下才なので、良馬程度ならば見方を教えられるのですが、天下の名馬となると、これの見方を教えることは口ではできません。そのかわりに、私の貧乏仲間に九方皐(きゅうほうこう)という者がおります」と答えた。 そこで、穆公は九方皐を引見して馬を求めさせた。三ヶ月たったある日、彼は「見つけました。沙丘におります。牝の黄毛でございます」と報告した。穆公は早速引き取らせに使者を遣ったところ、それは牡の黒駒であった。「だめだ。お前の推薦した九方皐というやつは、馬の毛色や牝牡さえわからぬ奴ではないか」と伯楽を叱った。 伯楽は、逆に感じ入った様子で、こう言った。「そうですか、九方皐はそのレベルにまで達しておりましたか。彼が観るのは天機というべきもので、その精を得て、その粗を忘れ、その内に在って、その外を忘れ、その見るべき所を見て、その見ないでもいい所を見ず、そんな所にかまっていません。彼が馬を相する段になると、馬なんてものを見ていません、馬よりも貴いものがあるのでございます」。 安岡正篤著「老荘のこころ」より p.72 原典は「列子」説符、「淮南子」道応訓 つづきを読む>>> つづきを読む >>