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3月 27, 2016の投稿を表示しています

放り込んじまえ

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何かと無反応で礼儀作法も知らない若者たちに業を煮やし、短気な人が「若者はみんな〇〇へ放り込んじまえ(どこそこで修行させろという意味ですね)」とか叫んだりしたことがあった。それはそれでとてもヒンシュクものだったけど、私としてはその気持ちもワカらないでもない。

立川談春師匠のエッセー「赤めだか」には、立川流の理不尽で厳しい修行の日々が赤裸々に描かれている。立川談志師匠は談春を含めた三人の弟子を、本当に築地市場に放り込んでしまった。黙って一年間働けというのだ。しかし談春師匠はしみじみと振り返る。このときの修行がのちにどれだけ芸の肥やしとなり人間修養になったか。さもなければ破門だったかも知れない。

今日のバラエティ番組。珍しいことに私が大好きな柄本明さんが出ていた。息子で役者の佑さんや時生さんのことを語っていた。昔、反抗期で手をつけられなかった佑さんが、ドラマの現場を経験して戻ってきた。そうしたら、すっかり変わってとても良い子になっていたというのだ。

なるほどなるほど。やはり放り込んでみるのもいいか。


葉っぱの寿命

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がらにもなく、遺伝学の本をめくっていたら「葉っぱの寿命」という章に出くわした。一体なんのことだろう。植物本体の寿命とは別に、葉っぱ一枚にも光合成能力の低下という「老化」の問題があるのだそうだ。ふーん。

そして「落葉しない」はずの常緑樹の葉っぱも、決して「不死身」ではなく、あるものなどは、一年もしないで落ちてしまうのだそうだ。つまり「落葉樹」よりも、寿命の短い「常緑樹」の葉っぱだってある。ややこしい話だ。それでは、植物たちは、こうした自分の葉っぱの寿命をどのようにコントロールしているのか。

聞いてびっくりなのは、すべて「計算づく」の効率重視。つまり一年間に得られる日照量と、自分の葉っぱの光合成の能力などのバランス。さらにいうと、老朽化した施設をメンテしながら使うべきか、あっさりと捨ててリニューアルしたほうがいいのか、すべてコスト計算による判断らしい。いわゆる遺伝学的な最適戦略。ウォール街なみにエグい。

何億年もの間、だてに生存競争してきたわけではないのだ。


切手も貼れない

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1840年のイギリスで、世界で初めて切手が発行された。

切手による前払いと、郵便料金の一律化によって、それまで煩雑だった郵便事業の仕組みは革新的に改善した。切手の発明によって、私たちはますます近代的なコミュニケーションシステムの恩恵に浴することになった。

伝えたい言葉を書いた紙に、絵柄のついた切手を貼る。何とロマンチックなやり方。「きってをはって」言葉のひびきにも、どこか情緒があるではないか。ポストシールとかでなくて良かった。

メールが当たり前になり、LINEやら Facebookなどにお世話になりつつも、時に葉書は使い続けたい。切手を発明したローランド・ヒル氏に感謝を捧げつつ。

SNSには、どう逆立ちしたって切手は貼れないじゃないか。

テレビあたりが怪しい

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神戸で学会があり久しぶりに関西に滞在した。ホテルで何気なくつけたテレビで「世界の職業」という特集をやっていて、それに見入ってしまった。

ロンドンの時計塔、ビッグベンを守り続けるという仕事があるらしい。150年以上の間、動き続けている時計は、その構造もメンテナンスの方法も驚くほどシンプル。今もなお、長い鎖の先端にある重しを動力として、振り子の振動に従って時を刻んでいる。

時計塔の守り人は、何年もの間続けられている手順通りに、手作業でメンテナンスを続けている。時間の進み具合遅れ具合を調整するのも電話の時報を使っていた。デジタルにもネットにも無縁の素朴なテクノロジーである。

人間を動かす動力といえば生命の基本的欲求。もともとは、食欲、睡眠欲、性欲の3つだけのはずで、極めてシンプルだったのでは。それがなぜか、非常に複雑かつ強力な力で、現代人の心の中をかき回すようになっているではないか。誰がそんな風に変えてしまったのか。やはり、この目の前にある、テレビあたりが怪しいと睨んでみる。