怒ってはいけない

大阪夏の陣屏風から

孫子の第十二は「火攻篇」だ。

孫子の内容は、後半になってくると、どんどん具体的になってくる。敵をどういう場所でどのようにして攻めるべきかを語る、まさに「兵法書」の面目を表す。この「火攻篇」でも、その前半にあたる第一節では、火を使って相手を攻める場合の心得を、その目的や条件などについて細かく教えている。

ところが、同じ「火攻篇」の後半にあたる、第二節になると、突然にその内容が変わる。戦争の手法ではなく、将たるものの心得についての記述となるのだ。その教えとは「将たるもの感情で動いてはならない」という教えだ。(この第一節と第二節の間のつながりは、後代の編集の誤りと解釈されている)いわゆる豪傑ほど、激して大勢を見誤ることが多い。孫子はその点を厳しく戒めている。

村山孚先生らの翻訳による、孫子「火攻篇」の一説を紹介する。

一体、戦争には勝って何かを得るという目的があるのだ。いくらよく戦ったとしても、かんじんな目的を遂げなければ、むしろ悪である。こういうのを「費留」(骨折り損のくたびれ儲け)という。<中略>不利であれば行動を開始せず、何か得るところがなければ兵を用いず、やむを得ないときでなければ戦わない。これが根本である。

<中略>君主たるものは、怒りによって兵を起こしてはならぬ。将たるものは憤りによって戦いを交えてはならぬ。一時の感情ではなく、「利に合えば動き、利に合わなければ止む」という冷静な判断が必要である。怒りは時がたてば喜びに変わることもあろうし、憤りは時がたてば嬉しさに転ずることもあろう。感情はこのように元にもどることができる。しかし感情によって兵を起した結果、国が滅びてしまえば、それでおしまい。死んだものは生き返らせることはできない。

という内容。

なんとクールで理性的なことか。孫子という本は、徹底的に合理的な価値観で貫かれた兵法書である。その内容は、現代の経営指南書としても十分通用するとされ、沢山の企業経営者が、座右の書としているのも当然である。

民主主義と平和につつまれた現代。しかし現代人の日常は、さまざまな競争や争いの連続であり、社会で活動する個人の生活は、まさに「戦国時代」とも言えるかもしれない。そしてまた、毎日がストレスと緊張の連続でもあり、怒りや憤りに心が翻弄される瞬間もある。ちょっとしたすれ違い、ちょっとした言い合い、決定的な亀裂につながる。

突然届いた失礼なメール、そのメールのたった一言に我を失い、憤りに身を震わせる。そんなときもありますよね。さあ、そんなときはこの孫子の一節を思い出そう。怒りや憤りは一瞬のことではないか。いまここで「逆ギレメール」を送ったら、僕と彼との関係はおしまいだ。今日の怒りも明日には喜びに変わるかもしれない。(あんましそうは思えないけれども)こう考えて我慢しましょうね。

Popular posts in Avokadia

レイチェル・リンド

クリングゾルの最後の夏

九方皐