異国のお菓子の味をとても近くに感じた
この夏より、スエーデンはゴッドランド島という極北の異国に暮らすお友達が送ってきてくださった写真をもとに描かせていただいたものです。このようにして、私は何万キロも離れた異国の味覚に想像をはたらかせ、ちょっと食欲をはたらかせながら、絵を描くことができたしだいです。こういうコミュニケーションはうれしいです。
思えば大変な時代だね。感慨ぶかい。
しかし現代ってどこかおかしくないか?
アマゾンにお願いすれば、今日注文したブルーレイが明日の朝にはとどく。お友達に電子メールを送れば一秒以下の短い時間で届く。当たり前だ。携帯電話でいつでも誰とでも話せる。すごいことだがこれも当たり前。やる気になれば、世界中の株を購入したり、投げ売りしたりも出来る。このお菓子のお手本になった写真データも、ゴッドランド島から、私が寝ている間、あっと言う間に来たのですよ。嬉しいことですね。コミュニケーション・ツールのおかげで世界はほんとうに小さくなった。
でも、なぜだろう。どうしてだろう。
年末の話題として、ニュースに紹介されるのは、都会の孤独な生活。コミュニケーションのとれない若者たち。会社で孤立して立ち止まってしまう社会人一年生。離職したまま、再就職できない人たち。上司と飲みにいけない新入社員。結党してひと月もせずに分裂する政党。現代のコミュニケーションというやつは、なんだってまた、こうもムズカシクなってしまったのだろうか。
コミュニケーション・ツールがこんなに発達した現代に、なぜコミュニケーションがムズカシクなければならないのだろうか?みんな、そんなに気を遣うのはやめて、肩をならべてお話しましょうよ。無礼講。上下もなく、右も左もなく。同じ地球の上に、ほんの一瞬だけのあいだ、同居している仲なんですからね。バックミンスター・フラー先生の教えを思い出す、年の瀬でござります。