夢を見るための時間

グミベア:ちいさな王様のたべもの

夢なのに現実のような気がする。夢のほうが現実なのか、起きて見ている現実が現実なのか区別がつかない。自分がどこに寝ていたのか分からない。自分の人生の記憶が消えてしまったみたい。特に昼寝から目覚めた時など、そういうことありませんか?

ドイツの政治記者が書いた童話「ちいさなちいさな王様(☆1)」というお話を読んでわかった。人間にとって「夢を見る」ことは素晴らしいことなのです。現実と見分けのつかないような「夢」を見るべきなのです。

このお話の王様は、だんだんちいさくなっています。そして、少しづつ記憶も失っているのです。王様の背丈は、いまやコーヒーカップくらい。王様の国では、子供は大きな体で成熟した状態で生まれてくる。人々は、年をとるとともに、いろいろなことを忘れて、なにもわからなくなっていく。

体も少しずつ縮んでいって、いつか見えなくなってしまう。王様のお父さんもおじいさんも、ちいさくなっていつか見えなくなってしまった。大人になるほど知識と記憶が消えて、体も縮んでいく。そのかわり「夢」の世界は広がっていくのです。

現代の社会生活の中で、ひとびとは感情や記憶を意識の底にためている。

特に刺激の多い現代の情報社会では、あまりに多くの知識や記憶がたまる。それらは、いずれ、本来の意識を覆い隠してしまう。すると感覚も曇り、意思と行動も曇っていく。一日の記憶が曇ったままに残る。

いつのまにか、記憶の断片や感情の濁りが、根深い煩悩となり、雲のように覆って意識がはっきりしなくなる。こういう悪循環が起きているのが、現代社会の僕たちの生活なのです。お釈迦さまは、こういう悪い習慣をやめなさい。悪い循環から早めに解脱しなさい、と教えている。

インドでは宇宙にあふれる真理の力を「 ブラフマン」といい、それは個々人すべてに及んでいると考えられています。それが個人に発現したものを「 アートマン 」というのです。「アートマン」が「ブラフマン」と素直に直結している状態が「極楽」という状態なのです。邪念や煩悩を捨てるとこの状態になることが可能になるのです。(☆2)

「記憶をなくす」ということは、王様の国では問題ではないのです。ものごとを忘れた老人ほど偉い。むしろ何でも知っている子供たちはまだまだ未熟。知識や教養というのは、豊かな人生にとってはむしろ邪魔もの。

ちいさな王様のように、いろいろな知識や、社会生活の執着を捨てて、どんどん夢を見ているような状態になることこそ、仏教で言う人間の成熟。まあ、現代社会の考え方とは、まっこう逆ですけどね。「いい年して夢ばかり見ていないで、さっさと稼ぎなさい」というのが、常識ある大人の考え方ですからね。

昔の人は「夢のお告げ」や「不思議なこと」を現実のように体験したのでしょう。むしろ、この世で起こることはすべて「虚仮( こけ )」だと考えて、解脱と漂白の道を目指す。夢を見るための時間を持つなんて、「逃避行動」や「現実回避」などと片付けられてしまう現代社会。解脱の道はますます遠くなっているのかもしれない。




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☆1
アクセル・ハッケ作 / ミヒャエル・ソーヴァ絵
ちいさなちいさな王様

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☆2
まわりみち極楽論 / 玄侑宗久著より
一部引用させていただきました」


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