いずれは消えてしまうもの


このケーキは、FBでのお友達(実際にもお友達)のF君が最近召し上がったものです。だからこのケーキは、もうこの世には存在しないのです。F君が食べたんですからね。写真データが残っているだけ。実物のほうはもう、どこかへ行っちゃった。

「記録メディア(媒体)」というものについて、大きな問題が生まれている。映画界からフィルムが消えつつある。代わりに映像を記録するの媒体は、デジタルビデオテープや各種のメモリカードなどが主流になっている。カードといっても、SDカードやメモリースティック、コンパクトフラッシュなど、いろいろだ。

カードは小さいし軽い。映像を記録するための消費電力も小さい。録画することに関してはメリットも多い。しかし、録画した後の扱いには問題も多い。間違って消してしまう可能性もある。踏みつけて割っちゃうかも。マイクロSDカードなど、そもそもの存在が「風でとぶような」もの。ほんとすぐになくしてしまいそうで、ちょっとこわい。

僕自身の感覚としては、カードよりはテープ、テープよりはフィルムを大事にしたいと感じる。でもそんな感覚は、もういまでは古びた考えになってしまった。このカードたちは、着実にその存在感を増してきていることを疎ましく思っても、時代はどんどん変わっていく。

おとといの晩、お酒を飲みながらブツブツ言いました。「こんな風に便利さを追いかけていたら、いつか人類はこれまでの文明の遺産をすべてけしちゃうんじゃないの?」僕たちが知っているさまざまなデータをすべてデジタルにして、どこかのデータザーバーにしまったら最後、いつかはまるごと消えてしまうんじゃないのって。

ははは。もしかしたら、エジプト文明とかにも、本当はSDカードくらいのものは存在していたのに、なにかの大災害にあって、石で出来た建造物以外ぜんぶ無くなってしまったのではないの。そんなことも想像しちゃうよ。

中国の大詩人、李白の詩。いまも沢山のこっております。なぜか。李白の詩は、SDカードに記録されることもなく、DVD化されることもないのに、いまでも面々と語り継がれている。

まさに、ひとびとの口に宿り、語り継がれてきた。李白が旅をして訪れた場所。そこでは、李白の詩を慕って訪れた人々がそれを復唱して後代に伝える。だから、バージョン違いも生まれるけど、それらはすべて、李白の詩として受け継がれてきた。ハードディスクドライブも、テープも、カメラもいらない。人々がこころの中で李白を追体験している。

故人西辞黄鶴楼 故人 西のかた 黄鶴楼を辞し
煙花三月下揚州 煙花 三月 揚州に下る
孤帆遠影碧空尽 孤帆 遠影 碧空に 尽き
惟見長江天際流 惟だ見る 長江の天際に流留るを(☆1)


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☆1:「李白」 角川ソフィア文庫 筧久美子・編訳

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