ちかごろの若者は遠くへ行きたがらない

スノーボールって旅情をかきたてます

僕たちが若かった頃、特に学生だった時代は、誰もが海外への強い憧れを持っていた。たまたま遊びに行った友人宅で、いかにも海外みやげという感じのスノーボールを見た。そんな瞬間、「うらやましー。俺も海外行きてー!」って思ったものだ。

こんなもの置いておかないでくれよ。ガラスのドームの中の「自由の女神」や「エッフェル塔」。まるでそこが、すぐにでも手が届きそうな近い場所に思えてくる。しかし、実際の海外旅行とは、とても手のどかない高嶺の花。田舎者の僕にはパスポートなど手に入れる方法もわからない。ただただ遠い夢だった。でも「いつかはきっと」という気持ちだけはあったのだ。

それが最近ではどうだろう。いまの学生からは、「どこどこの国に行きたい」とか「いつか海外で働きたい」とか、ほとんど言わないのだ。不思議だ。円高もあって海外が身近になったせいなのか。日本が豊になったせいなのか。あるいは彼らに覇気がないからなのか。

ネットでの情報で満足している。それも大きいと思う。旅行といえばとにかくネット。海外といえばネット。そうやって調べているうちに、もう「行ってしまった」ような既視感に陥る。ひどい場合「実際に行くよりも、ネットで動画を見る方が臨場感ある」みたいなことにもなる。あれまー、と思うが、僕自身その感覚も分からないでもない。

東洋一監督・寺山修司脚色による映画「サード」(☆1)には、主人公があこがれる町「九月の町」が登場する。殺人という罪を犯して、少年院での更正生活を送る彼にとって「九月の町」は、彼にとって「海外」と同じほど「遠い存在」だ。そしてまた、彼の未来を投影する理想の空間でもある。実際は、少年院へ護送される車の中で、ちらっと見ただけの港町なのだけど。(☆2)

行き止まりに突き当たってしまった現実の生活に「絶望した」分だけ、彼には外の世界に憧れる。自分の心のなかに自分だけの理想郷を持ち、いつかそこへ旅立ちたいと思う。それは、若者として当然のことだろう。少年院での暮らしとはいえ、その憧れとは、若者のエネルギーそのものだと思う。

いまの学生たちは、現実の生活に不満が少ない分だけ、外の世界への憧れが少ないのだろうか。あるいは「海外」という世界の価値がなくなってしまったのか。日本から「飛び出し」て、海外に行きたいという気持ちはあまり強くないようだ。

考えてみれば、僕たちの世代が若い頃に持っていた「海外への強い憧れ」とは、要するに海外へのコンプレックスの裏返しだった。今は、何もかも恵まれた日本に。ちかごろの若者が遠くへ行きたがらないとしても、仕方ないことなのかもしれない。

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☆1:原作は、軒上泊による「九月の町」です。大人の勝手な価値観に抑圧されて、閉塞感に苛まれる若者たち。少年院法務教官の経験のある作者だからこそ知る、主人公の少年の心の奥底。小品ながら、ただならぬリアリティで描かれた名作で、1977年に第50回オール讀物新人賞を受賞。

☆2:どなたか、この「九月の町」のモデルになった町を知っていますか?おそらく兵庫県のどこか瀬戸内海に面した港町ですよね。

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