探検する人しない人

イエローサブマリンの3D実写版あったら見たいなあ

東北大学には「探検部」という勇ましい名前のサークルがあった。(今もあるのかしら?)高校で仲良しだった先輩が所属していて、例えば、日本を北の端から南の端まで歩くとか、急流を手こぎゴムボートで下るとか、いろいろと無謀な「探検」に挑戦していた。(☆1)

インドア派で危ないことが嫌いな(つまりビビリ虫の)私には、そんな自分の身をキケンにさらすことの何が面白いのか、まったく理解できなかった。しかし一方心のどこかでは、自分のやれないようなことにチャレンジする人たちが、どこかまぶしくうらやましく思えたものだ。

6月号のナショナル・ジオグラフィックに、125周年特別企画として「新たな時代の探求者たち」という記事が掲載されている。その白眉は昨年3月に、深海艇ディープシー・チャレンジャーで、1万1千メートルもの深海に潜ったジェームズ・キャメロン監督の記事だ。

ちょうど、イエローサブマリンを縦にしたような形で(色は鮮やかなグリーン)、操縦席は直径たったの1メートルという球体。鋼鉄の弾丸に乗って地球の最深部に潜る大冒険。キャメロン監督の手記は、この危険が一杯の冒険の緊張感を余すこと無く伝える。

やはり昨年10月に、スカイダイビングで音速の壁を越えたフェリックス・バウムガルトナー氏。北極圏の氷の下を潜る写真家ポール・ニックレン氏。今年69歳で冬季の南極大陸横断に挑戦した(失敗)ラノフ・ファインズ卿。写真を見ると、みなさんそのお顔の真ん中で光る眼に、尋常でない輝きが宿っている。

こうした世界トップクラスの探検家が目指しているものとは何だろう?潜在する危険を冷静に回避する経験と能力。大自然と一体にって高揚する精神。そしてそのすべてを客観的にみつめる自分。こうしたものの総合が「探検」なのだろうか。

一方で一般人の私たち。まあ日常生活で探検のことなど考えないのが普通です。ワタシ自身が、「別になにも挑戦しない」グループのど真ん中だと思います。同じ人類として、ちょっと恥ずかしいような気がします。世界の拡大に貢献していないことを、申し訳なく思います。

人類というものは、もともとはすべて「大探検家」だった。起源にある小型ほ乳類から始まり、人類の祖先はアフリカ大陸からじつにさまざまな「探検ルート」をたどって地球上に広がった。あるものは氷の大平原を渡り、あるものは小舟でポリネシアの海を航海したらしい。

ということは、僕たち人間全員に「探検家の血」が流れているということ。たとえ深海に潜らず最高峰に登らず急流を下らずとも、何かに挑戦したいという気持ちは持っているのだろう。PCの前に座っていても、飲み干したワインは激した血流となり、心はアマゾンの大瀑布を下っている。キーボードをたたく指先は知らず南極の氷に触ている、とか。

いや、ただの負け惜しみです。妄想です。

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☆1:さらに言うと、教授の「オニ/ホトケ」リストの出版なんかもやってた。

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