コスモスが生まれてくるまでの時間


キバナコスモスという花だそうです。春先から、近所の道ばたにずっと咲いてくれている。これにミツバチなんかがとまっていたりすると、すっかりメルヘンな雰囲気になってしまうのです。とても和む直物ですが、写真を撮ってみつめているうちに、ある「疑問と妄想」が浮かんできた。

なんでまた「花」というものは、どれもこれもこんなにも美しいのだろうか。ダーウィンの進化論によれば、それはこの自然界が「選択」した結果だというのです。ながいながい時間の間に、よりよいものが選ばれて生き残る。この世界によりよく順応したものが生き残る。だから花たちというものは、どれもこれも綺麗なものが残った。選んだのは昆虫だし (=゚ω゚)ノ

それにしても、自然界というものはこんなにも複雑で神秘的なことを、いったいぜんてえ、どうやって実現しているのかいな。キバナコスモスが、こんなにも綺麗なオレンジ色の花になるのはとても大変なことだったろう。唐突で不謹慎ながらこう思う。ドストエフスキーという文豪が「カラマーゾフの兄弟」という大作を残したというのも、同じように自然界がなしとげた奇跡ではないのか。

トルストイという巨匠の存在が、偶然の産物であるみたいに言うつもりはないのです。でもこの世に生きる人間はすべて、自然界の一部。だとすれば、トルストイという巨匠が生まれたことも、この世界の基本原理として説明できるのではないかと。そう妄想しているのですよ。

ジョージ・ガモフ先生が、このへんの事情を語って下さっているので、聞きかじり的に引用しますね。(☆1)本当の「無限」ではないけれど、植物や昆虫たちが世代交代の中で生み出す子孫の数は、無限に近いほどのバリエーションとなる。彼らは本当に沢山の子孫を産み落とすのだ。海の潮の満ち引きのように、自然界の生物たちは無限大の実験を繰り返すことができる。

有限の時間ではあるが彼らにとっては、ほぼ「無限の時間」。無限のトライを飽きること無く繰り返すことができる。そしてその結果とんでもない奇跡を起こす。それが自然界のすごいところ。

オランウータンが、タイプライターのキーをめちゃくちゃに押し続けるとする。100年やそこらでは、意味の無い文字の配列しか生まれないだろう。でも、これが数億年も続いた場合「カラマーゾフの兄弟」のパラグラフの一部が生まれる可能性がでてくる。そしてこれが「無限」という時間になると、当然のごとく大部分の文章が生まれるというのですよ。こんな話、にわかには信じられませんよね?

キバナコスモスもこの自然界から生まれた。これは奇跡なのか運命なのか。私は進化論の話や、無限お時間の話が大好き。だからこんな風に勝手に思っています。僕たち人間だってコスモスと同じような原理で生きているんだ。だとすれば、未来に生き残る人間はみな綺麗な人間ばかり。綺麗な心で自然界を愛する人間ばかりになるはず。コスモスやツバメとお話できるそんな心を持った存在。

いまの僕とはぜんぜんちがう存在になる。
これから何億年かかるのかわからないけど楽しみだ〜(=゚ω゚)ノ

- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - 
☆1:ジョージ・ガモフ 「1,2,3,無限大」

Popular posts in Avokadia

レイチェル・リンド

クリングゾルの最後の夏

道に迷った時には