長崎はどこにあるのか
瀬戸内国際芸術祭の総合ディレクターを務める北川フラムさんの言葉。朝日新聞土曜版の特集、フロントランナーに紹介されていた。「美術は人と違うことをやって褒められる数少ないジャンルだからね」
なるほどそうだ。美術というジャンルは人まねばかりではいけない。最初は模倣をして勉強するものだが、最終的にはオリジナリティが重要になる。「人と違うことをやる」というのは、言うのは簡単だが、実際にはなかなか出来ないことだ。
またまた苦言になってしまうのだけど、最近では「人と同じことをする」若者が多いような気がする。研究テーマを選ぶ際にまず先行研究というものを探すのはいいのだけれど、だいたいは見つかった先行研究の後追いのようなテーマを選ぶなる。「ぜんぜん違うことをしよう」ってことにはならない。誰かのつけた足跡の後ろを歩こうっていうことでいいのかしら。いつもそう思う。
「しおかぜ総文祭」という、高校生の文化系活動インターハイのようなイベントがあり、長崎までの出張に出かけてきた。私の勤める大学の学部に興味を持ってくれそうな高校生や高校の先生にお会いするためだ。行ってみて思った。高校生たちは、なかなかやるな。まだまだ瑞々しい感性とチャレンジ精神を感じる。みんな、うちの大学に来て新しい道に挑戦してくれないだろうか。
たまたま今年、長崎という場所での開催だったが、長崎ほどこうした催しに似合う場所はない。なにしろ、江戸時代の300年近くの間、日本から世界を見る唯一の窓だった場所。閉鎖的に守られた江戸文化に対して、西洋の科学文明や先端技術が流れ込んできた場所。江戸末期には明治維新の推進力となる若者たちが競って訪れた場所。「自分たちと違う何か」を求め、「いままでと違うこと」を見つけるために。
昨日までの自分をコピーしながら生きていく。何かを続けていくということも大事なこと。しかし変化するということは、もっと大事なことだ。特に時代が変化しようというタイミングでは、生き残るためにも「変わらなければならない」のだ。時代が音を立てて崩れ去ろうとする江戸時代末期。変化への境界線を求めて、勝海舟や坂本龍馬など、気鋭の若者たちがここに集まったのは当然のことだ。
いまこの時代。まさにどこからか時代が崩れ去ろうとしている。しかし、いったいどこからどのように崩れているのか、分かるようでわからない。グローバル経済の行き詰まり。国家規模の財政破綻。自然破壊。地球温暖化。核技術維持の限界。人口増加。時代の行く手をふさぐ問題は山積み。僕たちが大きく変わらなければいけない、ということだけは間違いないのに、どこへ向かったらいいのかわからない。
新しい時代への出口は一体どこなのか。江戸時代であれば、長崎の出島にそれがあった。現代の日本における「長崎」とは、いったいどこにあるかした。新しい時代への入り口。次の価値観、新しい生き方への窓。自分と違う自分に出会うために、僕たちは一体どこへいくべきなのか。これもなかなか分からないのだ。