選択の余地がない場合には
坂から見上げた浦上天主堂 |
人それぞれに。それぞれの人生。それぞれに「選択」を続けた結果が、いまのその人生の状態になっているのだ。僕なんかはいつのまにか、50代半ばに達しようとするわけだが、いよいよもって「自分自身の選択」によってたどり着いた結果に、我ながら驚く毎日である。でも、なんにしろ、すべては自分の選択の結果である。
なんでこうなっちゃったんだろう。そんなこと言ったって、こればかりは他人のせいにはできない。すべては自分自身の「選択」の積み重ねなのだから。
夏休み中の大学で、事務作業の整理などをしながら、HDDにたまった番組などを見ていた。本当は「ハリウッド白熱教室」というEテレの番組を見ようと録画予約していたのだ。いつのまにかそのシリーズは「コロンビア白熱教室」というシリーズに変わっていたのだ。何だろうこれ?と、思って早速彼女の著作「選択の科学(Art of Choosing」を買って読んでみました。
その授業によると、つまり。
人間は「選択をしないと生きていけない」動物なのだそうだ。いやいや、人間だけでない。動物たちも毎日生き抜いていくために「選択をする」という行為が本能的に備わっているのだ。だから「高級ホテル」なみにいきとどいた動物園での生活から、彼らはたびたび脱走する。そこにいれば一生安泰なのにね。
猛烈なスケジュールとビジネスのスリルにさらされながらも、社長クラスや会社の重役たちは、意外に長生きなのだそうだ。それは極限的に危ない状況で「選択をする」という行為が楽しいのだからだそうだ。逆に、平凡な一サラリーマンであって、常に人から指図を受け、自分自身に「選択権のない」階級の人々は、それが意外にも危険なストレスになっているのだという。
自分の人生を生き延びるための選択。これは、人間が生きていくために必要な「良性のストレス」なのだそうだ。この逆の状態におかれること、つまり最近よく聞く「リストラ部屋」におかれるような状態は、とても悪いストレスとなる。まあ、誰だって、年がら年中、上司からガミガミ指示され続けたら、まいってしまうわけだよね。
以前にもこのブログシリーズで書いたんだけど競馬やパチンコなど「ギャンブル」というものは、「自分はリスクを背負って重要な選択している」というイリュージョンを持つための行為でもあるらしい。もちろん、実益をかねてやっている方も多いだろうけど、こういう心理充足的な側面もあるということ。
アイエンガー教授が紹介する事例として、とても興味深い調査結果がある。上で述べたような「上から指図ばかりされている」あるいは「自分自身に選択権のない」状態におかれた労働者の中にも、とても長生きするグループがあるということだ。そのグループの特徴というのは、彼らの「考え方」にある。
その考え方とは何か。それは「気にしない」ということである。自分が「人に命令する立場」であろうと、「人から命令される立場」であろうと気にしないのである。そんなことを人生の一大事と考えないこと。自分の社会的ポジションがどこであろうと気にしない。それどころか、社会という存在そのものを気にしない。つまり古代中国の仙人のような人たち。要するに考え方というか、価値観の問題。
いつの時代でも、自分の思い通りの人生を歩む人もいれば、なかなかそうはいかない人もいる。どんな境遇にあっても、自尊心を持ってしっかりした価値観さえもっていれば、何も怖くないということ。これも人生のひとつの「選択」なんですわね。