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つい先月まで「水不足」が心配な状況もあったのに、このところは日本中が豪雨に見舞われて大変な災害を被っている。水の豊かな国だからこそなのだが、なんとか一年中穏やかに水の流れに囲まれて暮らすことはできないのだろうか。これは縄文時代から日本列島に生きた人々すべての願いだったろう。

地球上で水から生まれたといわれる、僕たち生命。身体の大半が水なのだし、どちらかというと水に覆われていた生き物がいつのまにか逆転して、身体の中に水をため込んでいる状態のようである。とにかく、僕たち生き物のというものは、水と酸素なしにはひとときも生き続けることができない。

だから水という存在は、あまりにも大事で身近なものである。そして、平穏な日常生活の中では、あって当たり前のような、ありふれた存在になっている。(日本のように水の豊かな国だけかもしれない)

しかし、物理学的な見方をすると、この水という存在ほど不思議なものはないのだそうだ。そもそも「液体」という状態について定義すること自体が難しいのだが、水というものは液体である間、とても不思議な振る舞いをするものらしい。とにかく、いろいろなものを溶かしこむことができる。その結果様々な性質の液体に変化する。そしてまた、水それ自体がとても化学的活性が高い。

水が固体になるとそれは氷だが、これもまた謎だらけの存在。第一、液体(水)の時よりも固体(氷)の時のほうが、密度が低いというのは、実は、物質界ではほぼ水だけの特質らしい。普通は分子が動きまわっている液体の状態(分子と分子の間にスキマがある)よりも、固体(スキマがせばまる)のほうが、密度が高くなるのが当然。

ところが、水と氷の関係の場合、それが真逆なのである。氷という固体の結晶構造が特殊だからなのだが、氷は水に浮く。つまり、固体としての氷のほうが水よりも密度が低い。だから、池が凍ると表面に凍りが出来る。そうでなければ、本当は池は底の方から凍るべきなのだ。

しかも、水の時だっておかしい。水が液体の状態で最も密度が高くなる(重くなる)のは、摂氏4度である。それ以下の温度では、軽くなるのだ。だから、池の表面で水が凍るときには、より冷たい4度以下の水が、4度の水の上に登る現象が起こる。実に不思議だ。すべては、酸素原子一個と、水素原子二個の組み合わせによる分子構造の特殊さに起因することだ。

しかし、よりによって、この全宇宙において、もっとも「どこにでもある」普通の一般人である、水素と酸素による合成物が、宇宙でもっともへんてこりんな性質を持つなんて。宇宙って深いと思う。物質世界の謎は深い。

以上、すべて、フィリップ・ボール著「水の伝記」からの引用である。僕はフィリップ・ボールさんの大ファンなのである。

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