せこくなっても当然だ

なんぞ人の非にかかわらん

昨晩のブログで、うっかりいまどきの高校生に苦言を呈するようなことを書いてしまったところ、FBのお友達諸子よりさっそく冷静なるコメントをいただいた。

「いまどきの高校生がもし、こころざしが低く、夢もちいさいというならば、それはまさにいまの大人(つまり僕のこと)のせこい生き方を真似しているだけなのではないか」

たしかにそうだった! 子は親の鏡というではないですか。いまの高校生とは、まさに僕たち大人を映す鏡だったのか。まったくそのとおりだ。オトナがせこいんだから、高校生がせこくなっても当然だ。やっちまった。

それでは、と考える。
僕たち大人は、いつからこんなに保身的でせこい生き物になったのだ?

やはり思い出すのは構造改革と自由化の時代。生産性とか効率化とか言っているうちに、終身雇用や年功序列といった古い秩序が消えていった。心安かった社内がいつのまにかギスギスしてきた。雇用の自由とかいっているうちに、正規雇用からあふれて沢山の若者がフリーターとなるようになった。競争社会、格差社会という状態が定常化していった。

うっかりすると、落ちこぼれてしまう社会。そういう社会では誰もが、生き残りのために慎重にならざるを得ない。バブル期に至る高度成長期に、みんなが大きなことを言っていられたのは、実は社会が安定して将来の心配が少なかったからなのかもしれない。将来が保証されていたから、誰だって無責任にでかいことも言えた。

誰もが先行き不安な現代。将来の夢がせこく小さくなって当然。ああ、だんだん考えるのが嫌になってきた。そういう時代だけど、僕たち老人はあくまで元気にいきたい。こんな言葉もある。

「老い去れば、自ずから万縁すべて尽きる」
「なんぞ人の是、人の非にかかわらん」(☆1)

中国の古い教えです。おじいちゃんになったら、こういう世間の考え方とは別に、自由闊達に生きることができるっていうんですね。老人の特権ということだそうです。せいぜい自由で元気で無茶やって、若者への手本となるジジイになるのだ。よっしゃー。(๑•̀ㅂ•́)و✧

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☆1:酔古堂劍掃(すいこどうけんそう)巻五
「老い去れば、自ずから万縁すべて尽くるを覚ゆ。那ぞ人の是、人の非に管らん」


年老いていけば、自然に世間とのつながりが切れていくように思われる。
かくなるうえは、いっそのこと世の中の是非善悪にわずらわされない生き方をしよう。
現代訳: 守屋洋 / 守屋淳 著 「中国古典名言録」より


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