待たされる時間




今年の大学の授業で、黒澤明監督の「赤ひげ」を取り上げました。準備のために原作の「赤ひげ診療譚」を読み直したところ、そのあまりの面白さに驚き山本周五郎ファンとなりました。「樅の木は残った」や「山彦乙女」など、順不同に読み漁っています。

読んでいて、あることに気づきました。
山本作品の主人公たちは、とにかく良く「待たされる」のです。

職場の上役や敵に談判に行く。しかし面会がかなうまでには2〜3時間は待たされる。友人との食事ではその前に風呂を沸かして汗を流す。そして酒の燗が着くまでを待たされる。仇討ちの前にはじっくりと身支度をする。そんな時でもまずは昼寝までする。

何をするにしても下準備があり待ち時間があり、その間に本人の心が落ち着き、想いが形になり、そして決心が固まる。昔の人には心を熟成させる時間があったのですね。

短編集「日々平安」の中に「橋の下」という物語があります。早朝の決闘に出かける主人公は、緊張のあまり2時間も早く出かけてしまう。しかしその「待ち時間」おかげで、自分過ちに気づき難を逃れることができた。

植物たちも「待ち時間」を気にしない。忙しい生活でこちらがバタバタしている間にも、地味にしっかりと成長している。我が家の庭先の「カネノナルキ(ほんとうは花月というらしい )」 も、数週間の「待ち時間」の間に大きくなりました。




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