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7月 18, 2010の投稿を表示しています

シエスタ民族

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日本にはなぜ「シエスタ=お昼寝」習慣が根付かなかったのだろうか。日中の日差しが強すぎることもなく、適度な気候であったため、日本人は常に「働きつづける」ことを美徳としする、セカセカ民族の国となってしまったのだろう。実に残念なことだ。

水木しげるさんの「睡眠至上主義」を持ち出さなくとも、「お昼寝」の効用は明らかなのだ。午前中の活動を終えて、おいしい昼食を食べれば、誰だって眠くなってくる。当然活動の度合いも落ちて、仕事の効率だって悪くなる。思い切って、2〜3時間寝たほうが、効率が良いのに決まっているではないか。

しかし、日本は勤勉で働き者の国なのだ。明治以降はとにかく、西欧諸国に追いつくために、国を挙げて生産性を向上させなければなかった。日本人に「お昼寝」などしている暇はなかったのだ。しかし、21世紀ともなり、日本の置かれている状況は激変したはずだ。中国に抜かれたとはいえ、日本のGDPは、いまだ世界のトップクラスにある。もう、セカセカする理由は無いのでは?

森村泰昌著「露地庵先生のアンポン譚」は、このへんの消息を実にうまくとらえて、現代の日本人のセカセカ具合を笑い飛ばす、素晴らしい本である。大阪の露地裏的価値観を武器に、近代を大股で走り抜けてきた日本人が気づくべき、「ゆっくりした間合い」について思い起こさせてくれる。

森村先生が、ヨーロッパでの展覧会において体験したエピソードが面白い。マドリードでは、シエスタが終わり、サッカーの試合が終わるまで、誰もレセプションに現れない。パリの展示会場では、電気工事のお兄さんが、二日続けて遅刻。それでもまったく悪びれずにニコニコしている。ベネチアの展示会場では、つごう三種類の電気コンセントが、統一されることもなく使われている。「使えればそれでいいじゃん。間に合えばまあいいじゃん。楽しければそれでいいじゃん」。という、実に鷹揚なゆったりとしたひとびとが、ゆったりとした価値観を交換している。「流れているのは悠久の時間」だと、森村氏は発見する。

慌てることはないよ。人間の一生はとりあえず一生にすぎないんだから。
太古からとぎれることなく続く、この時間の流れを感じて生きていこう。

シエスタ的価値観に近いこれらの都市、パリ、マドリード、ベネチア。いずれも堂々たる芸術の街じゃないか。以前に一度マドリードで、アルコという芸術見本市に参加したことがあ…

睡眠のパワー

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睡眠には「パワー」がある。とはいえ、実際に寝ている人の状態とは、まさに「脱力」状態なのだし、それに「パワー」があるというのも変な話かもしれない。しかし、やはり睡眠には「パワー」がある。

そのことを、身をもって証明しているのが、水木しげる先生である。今年めでたく、88歳の米寿を迎えられた、水木先生は、太平洋戦争中にニューギニアの激戦を体験された。片腕を失う大けがをした上にマラリア罹患という、大変な目に合われた。しかし、ご本人いわく、その大怪我と病気も「睡眠の力」で克服したと断言されている。「どんな病気も怪我も、睡眠によって癒すことができる」というのが、水木しげる先生の信念となっているのだ。

「家族が寝ていたら決して起こしてはならない」これが水木家の家訓だ。だから、水木先生のお嬢様は、学校でも遅刻常習犯だったというが、それでも水木先生の「睡眠至上主義」はゆるがない。

睡眠についての書籍を読むと、人間のような脊椎動物が、もっともよく眠るということが書いてある。イヌもネコもよく眠る。しかし、馬など、原野で外敵の危険にさらされて暮らしていた動物は、あまり深くは眠らないという。イルカなど、泳ぎ続けなければならない動物になると、右左の脳で半分づつ眠るという芸当をするそうだ。両生類より下等な動物は、そもそも眠らないとか。

しかし実は「睡眠」という現象には、まだまだ相当な謎が隠されているということも、事実らしい。睡眠に関係する書籍は沢山あるのだが、人間の睡眠についての本質論となると、いずれの本においても、どうも歯切れが悪いのである。日中の活動をふり返って、脳の中の配線を組み替えている(プログラムのし直し)とか、精神的なリフレッシュをしているとか、皮膚や体の組織を修復している、など諸説あるようだが、やはり決定打はないようなのだ。

しかし、一方で、睡眠不足ともなれば、私たちの意識は朦朧となり、行動は怪しくなってくる。徹夜続きのような無理な生活を続ければ、いずれ病気になる。精神的にも肉体的にも、だんだん怪しい状態となってくる。「寝る子は育つ」という通り、私たちは睡眠をもっと大切にしなければならないのではないだろうか。

しかし、水木家のように「何事よりも睡眠を優先する」という大胆な家訓を作れる家はそうはあるまい。学校でも、会社でも、むしろ「睡眠を削って頑張った」ということのほうが賞賛され…