鳥たちの生活


ピンクの鳥のオブジェ。手をたたくと、その音に反応してピヨピヨピヨって鳴きます。しっぽのところがキーホルダーになっていて、携帯電話とかにくっつけることができます。携帯を無くしてもすぐに見つけることができる。いまのところ、何にくっつけるかは決めていません。

手前に置いたチョコボール。なんだか卵の様に見えます。大きさもぴったり。

今日は天気も良かったので、ひさしぶりに三郷公園を散歩しました。カモやユリカモメが池をただよい、サギが木の枝に止まっていました。(珍しい!)ヒヨドリやセキレイも見ました。

この公園には、実に愉快なサギがいるのです。釣りのおじさんがいると、その脇に一日中立っていて、お魚の分け前を待っている。おそらく以前に、一度お魚を分けてもらったののね。今日は、釣りのおじさんがいなかったけど、いつものポジションに立ってました。ご飯をくれるおじさんを待っている。

カルガモが集団で行進しているのもおかしかった。一羽が池から出て歩きはじめると、次から次から後をついて行く。20羽くらいの集団になって、隣りの芝生に向かっていき、そこでなにやら食べ始める。そうかと思うと、なにかに驚き一瞬で飛び立ち、もとの池に戻っちゃった。

鳥たちというのは、本当に面白い行動をしますね。なんとなくリーダーにくっついて真似して行動しているようでもあり、てんでばらばらに行動しているようでもあり。自由気ままのようでありながら、適当に集団を維持している。セキレイなんかは常にカップルで仲むつまじい。

ハイデガーによると、「『存在』とは何であるか?そう問いかけることができるのは人間だけである」そうですね。だから鳥のような動物たちは「僕たちはどうしてここに生きているのだろう?」などとは問いかけない。ただそこにいて、この世の生活を享受している。だから、仏教の世界では鳥たちには「仏性がある」という言い方をする。

きままに空を飛ぶ鳥たちには、悩みはない。人生の意味とか働くこととか。もちろん、カラスとケンカしたり、猛禽類や猫に狙われたりするのは大変でしょうけれどもね。満員電車に揺られながら、ハタラク意味をぼんやり考えている。ローンなどを抱えた熟年サラリーマンと、どっちが幸せだろうかしら?



釣りのおじさんを待っているちょっと手抜きのサギ