心の分子

NHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」で、10代目・柳屋 小三治 師匠を紹介していた。平成の名人の高座での孤高の姿をとらえた素晴らしい番組だった。

番組中小三治師匠が、脳科学者の茂木健一郎氏に質問が興味深い。「稽古をして覚えた演目が、百数十はあったはずなのに、今はそのうち、数十しか覚えていない。その消えた演目はどこへいったのでしょうか?」この質問に茂木氏は、「繰り返し練習による記憶の強化」や「体で覚えたものは忘れない」といった、きわめて表面的な答えしか返せなかった。そこで、小三治師匠はこう言った。

「やはり先生は、脳の弁護をしていますね」。

名人の域にまで達する人、特に小三治師匠のように、修行僧の荒行のような稽古を繰り返している人は、脳や記憶というものを越えた、ある状態を掴もうとまでしているのかもしれない。つまり、人間の体を、電線や歯車のような部品としてではなく、ひとつの統合された何かに持って行くということ。精神というものが高まることで、機械やコンピュータを動かすのとは根本的に違う何かの状態に持って行く、そういう状態。特に今の小三治師匠のように、リュウマチに冒されている体を酷使してまで、闘っている人にとって、その何かとは、我々のような凡人とは、まるで別次元のところにあるのだろう。

Popular posts in Avokadia

レイチェル・リンド

おそらく史上最低のFBI捜査官だけど

大機大用