パーフェクトワールド


先日来、プログラム中毒になっている。このブログも休みがちになるくらい、パソコンの画面とにらめっこしては、Flashというソフトのコードを書き込んでいる。がらにもなく、にわかプログラマーをやっているのだが、本人には意外と「プログラム」という意識がない。むしろ「動く絵」を作っているという感じだ。あるいは「動く世界」を作っている。

「世界を作る」といえば、大げさである。しかしこれは確かに、なにか自分だけの「世界」を創造しているような気分になる。だから楽しいのだろう。「世界よ回れ」と命令すればその世界は回る。「世界よ止まれ」と命令すればすべてが止まる。すべては自分の書き込む「コード」次第なのだ。偉そうである。しかし、時々大失敗をする。

せっかく、出来上がりそうになったプロラムに「バグ」が見つかる。「バグ」というのは、ご存じの方も多いと思うが「虫」のことである。お腹の中にムシがいると具合が悪くなるように、プログラムの中にもムシがいると具合が悪い。ひどいときにはプログラム全体が暴走する。たった一行の中のたったひとつの命令が、間違っているだけで、それが致命的な「バグ」になることがある。

プログラムがだんだん巨大になってくると、つまり完成近くになると、それは起こりやすい。プログラムを構成する部分と部分の関係が複雑になってくると、はじめの頃には気づかなかったような矛盾が吹き出してくる。実はすべて自分が記述したことなのに、以前書いていたことと、今書いていることのつじつまが合っていないのだ。人間のやることだから仕方がない。

今日も、世界では太陽が沈み月が昇る。その世界に「間違い」は無い。明日突然に、太陽の調子がおかしくなるとか、そういうことは起きない。宇宙のすみずみまでいきわたる「重力」というものは、巨大な太陽から、コメ粒やアリさんにいたるまで、均等に平等に働いている。広い世界に降り注ぐ雨はどの場所も均等に潤してくれる。間違って一部だけ雨に濡れないなんてことはない。太陽がつくる影。これも一度だってその出来る場所がずれたりはしない。

この世界というものはパーフェクト。人間ワザではない何かによって動いている。人間にはとても感知できないなにかによって。

現代の日本人の場合、特定の宗教を持たないという人も増えているようだ。私自身もそのへんはとても曖昧。宗教的な信条というものもなく、困ったときに気まぐれに神社でお願い事をするくらいだ。でも、こうして改めて、この世界の完璧さを見てみると、これは本当にエラいことが起きている世界なのだなーと、感心してしまうのである。

今夜もこんな遅い時間に失礼いたしました。おつきあいいただいた皆さん有難うございます。おやすみなさい。

Popular posts in Avokadia

レイチェル・リンド

九方皐

クリングゾルの最後の夏