時代をつくるのは
駅のホームに貼ってあったポスターを見て笑ってしまった。
男は組織をつくる
女は時代をつくる
うまいこと言うな。思わず「そのとおりだな〜」と独りでうなずいてしまった。「男は組織をつくる」というのは、まあ本当だと思う。どういうわけか男という種族は、上下関係を気にしたり、仕事のルールをいろいろと吟味したり。とかく組織として秩序だって動くことを尊重する。どういうわけだろうか。
一方で女性という種族の方たちは、男よりももっと純粋に人生の損得のようなもののセンスが発達していて、男の人とは違う価値観を備えている。だから、普通は「女は家庭をつくる」といいそうなところ、うまいこと「時代をつくる」と来た。確かに、したたかに時代の価値観をつくっていくのは女性なのかもしれない。
男の人たちが、とかく抽象的な価値観に基づいて、自分らの組織を縛ってしまうのに対して、女性というものは、余計な価値観や主義主張などは関係なく、「どうやって生き残るか」ということに対する嗅覚で主張が出来る。まあ、そのようなものかと感じている。
自分たちの世界を、ルールと階級で縛って、そんでもって偉い人から順に命令を繰り出すという「男社会」。これはこれで立派なもので、上から下までその「秩序」にしたがい、一糸乱れず社会組織による活動というものを生み出している。
私がいつも尊敬している梅棹忠夫先生。先生は生前、組織のルールや社会のしきたりなどに巻き込まれていると、人生の大事な部分は失われてしまう、と教えてくれた。できれば、社会の価値観では「役に立たない」とレッテルを貼られ、まわりから「あきれられて」ついには「はみ出して」しまう。そんな存在であるべきと、おっしゃっていた。
周りから干渉もされず、余計な期待もされず、仕事を頼まれることもなく、つねにマイペースで生きる。そういう生き方を推奨されていた。周りから枝を剪定されることもなく、ほおっておかれた樹は、のびのびとその枝を伸ばす。人間もそうあるべきだと。以前このブログで「幸せの法則」というタイトルで紹介させていただいた。
うっかりすると、優秀な人材というものは、周りからの頼まれゴトにばかりもまれて、自分の時間もなく、人生を楽しむことも出来ずに、年老いてしまうのだ。利用しやすいまっすぐな枝は、成長を遂げる前に切り落とされてしまう。曲がったくせ者の枝はのびのび
と伸びきることができる。
今日は、大学院の講義の課外授業で、学生さんたちと一緒に鎌倉を探索してきた。鶴岡八幡宮のご神木だった大銀杏を見てきた。突然の倒壊以降、神社関係のみなさんの大変なご尽力で、ついに若い枝も生えてきて、もしかすると新しい世代へと命がつながるようである。これから一体何百年かかるのかわからないけれど、われわれ日本人に教えて欲しいものだ。ゆっくりとじっくりと大きく枝を伸ばすということの素晴らしさ。