運命というもの信じますか


昨日は大学院生13人と一緒に古都鎌倉を歩いた。富士山の世界遺産登録と対照的に、ちょっと落ち込んでいるかなと思いきや、折からの強風もものともせず、たくさんの観光客や修学旅行の生徒さんで、とてもにぎやかであった。特に鶴岡八幡宮では七夕飾りがほどこされ、お囃子の披露などもあって、華やいだ雰囲気に迎えられてとても気分がよかった。

今年の大学院生は留学生が多く、特に中国からの学生さんが多い。サウジアラビアやインドネシアからの学生もいるので、国際色ゆたかな旅行グループとなった。彼らに「ジンジャ」と「おテラ」の違いを説明しつつ、彼らの目に日本の古都がどのように映るのか、こちらも興味津々。しかし心配をよそに、彼らもごくごく自然に鎌倉の擁する日本文化を吸収していたようだ。

サウジからの学生も中国からの学生も、円覚寺を訪れて大きな感動を得たということだ。鎌倉時代の彫刻や建築というものは、やはり文化の違いを超えて、誰にも訴える力があるようだ。幾万の言葉で日本文化を説明するよりも、こうして日本の文化遺産に直接触れてもらうほうが、ずっといいように思う。すぐれた芸術というものは、国を超えて伝わるものだ。

意外だったのは「おみくじ」の人気。日本人だけでなく、留学生諸君も「おみくじ」をひいて盛り上がっていた。どうやら「絵馬」と「おみくじ」の違いも曖昧のようではあるが、なにか自分の将来の運命について書いてあるということは分かるらしい。そして、日本人と全く同じように「末吉」をひいたとか、「小吉」だとか、一喜一憂している様子が微笑ましかった。

あまりよくないものを引いて落ち込んでいた君、そんなにがっかりしなくていいんだよ。この「おみくじ」に書いてある運勢というものは、常に変化しているものなんだから。安岡正篤先生が、教えてくださっていた。

「大吉」であれば、こういうことだ。「今は最高の状態にあるけれども、それはいずれ衰えていく。用心しなければなにか新しいトラブルに巻き込まれるぞ」 もしそれが「小吉」ならば「いまだ運勢にめぐまれていないけど、これまでの努力が目を出して次のステップへの足がかりが見えてくるぞ」こんなふうに教えているのだ。

そして大事なことは、人間の運命は固定されているものではないということ。「立命」といって、自分で自分の役割(天命)に気づいたときには、自分で自分の運命を変えていくことができるのだ。まあ、私自身も自分の天命もよくは知らず、いまだ運命に翻弄されているような若造ではあるが、このように考えることで、希望というものも出てくるもの。

大学で学んでいる若いみなさんには、特に感じてほしい。自分が自分自身としっかりと向き合っている限り、自分の運勢というものはどこまでものびていくものなんだからね。ガンバってちょうだいよー!(=゚ω゚)ノ

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