士道の本懐

ライラックニシブッポウソウ(どこか孤高の武士っぽい?)

このところ泉秀樹先生の作品にぞっこんです。たまたま「てんとう虫(☆1)」の3月号に載っていた「明暦の大火の後(☆2)」というエッセーを読んで、さらに連作歴史小説「士道の本懐」を読みました。

歴史を知らないものは現代も知ることはできない。こういう言葉がありますが、なかなかこの現代に生きる私たちには「日常的に歴史から学ぶ」ことは難しいです。泉秀樹先生の本からは、知らず知らずに時代を超えて私たちが学ばなければならない「人生の真実」というものが、自然と目の前にあぶり出されてくる思いがします。

特に「士道の本懐」では、江戸中期からなんと戊辰戦争の頃までを通して、天皇、近衛家、大石家、そしてはるばる水戸班へ繋がる人間模様が、鮮烈に描かれている。いまも未だ泉岳寺には、赤穂の忠臣にささげる花や焼香が消える事はない。しかしそれが幕府と近衛家との駆け引きの中で、大石内蔵助が勝ち取った「武士の本懐」だったとは。まさに目を開かされる思いです。

しかしこの物語を通じて、感じるのは、だんだん時代を下るにつれて「男子が本懐を遂げる」ということが、難しくなってくるということ。

江戸中期に、水戸班から都への献上物である新鮭の荷を死守した茂衛門は、水戸光圀より手厚く供養され、末代までひとびとの記憶に英雄として記される。赤穂の四十七士も、近衛家よりその顕彰をたたえられ続ける。


それなのに、時代を下り江戸も末期となり明治維新が近づいてくると、この小説の登場人物の「本懐」も、段々とあやしくなってくる。「ハテ、コンナハズデハナカッタ」と、自分の人生を寂しく振り返る主人公が登場してくるようになる。近代は、男子が本懐をとげるには、あまりにも雑然とした軽薄な時代なのだろうか。

現代の男子学生君たち。「夢を実現しなさい」といわれて、その夢の前でたじろいでいる。人生そのものを超えて「夢」を実現せよと言われても、彼らにとって、それはあまりにも難題かも。そもそも彼らを導くべき大人や指導者たちが、夢や価値観を見失い目先の問題や保身のために右往左往している。学生と対面する私自身もそんな状態。

「士道の本懐」を遂げうる人生観などは、とうに歴史の彼方に消えてしまったのかしら。今夜は2月26日。少しは居住まいをただして、昭和史にも思いをいたさなければ。

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☆1 てんとう虫
某クレジットカードの発行する、ユーザー向け月刊誌です。ほんとうに編集にお金がかかっていて、珠玉の連載エッセーなど満載なので、へたな月刊誌よりも面白いですよ。

☆2 明暦の大火の後
振袖火事ともいわれる「明暦の大火」の後処理を担当した、当時の将軍輔弼役、保科正之が、見栄ばかりの江戸城再建などの工事は放って、下々の被災者の救済に尽くしたという、すがすがしい賢人エッセーでした。こういう深慮遠謀の政治家が、現代にもにいたら本当によかったですね... というお話です。


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