希望にも格差があるのか
ロバート・ライシュ |
その本のタイトルは「希望格差社会」という。なんと残酷なタイトルなのだろう。これからの日本は、希望を持てる者と、持てない者とが差別されるようになるということだ。たった二割の成功者以外は、大卒であろうが高卒であろうが「希望」とは無縁の人生を歩む事になる。そんなきびしい現実。今の学生たちのことを思うと胸が苦しくなってくる。
しかし、著者の山田昌弘氏の本意はそれではない。少子化とグローバリゼーションに流される、日本社会の構造変化への警句だ。この流れに抗するのは容易ではない。しかし、我々自身がこの奔流に流されているという自覚を持つ事で、崩壊する労働環境にある日本社会の脱却点をみつけることができるかもしれない。そう望むからこそ、このような恐ろしい本を書いたのだと思う。
本書では、ロバート・ライシュ氏の「勝者の代償」や、ピーター・ドラッカー氏の「ネクスト・ソサエティ」などの経済書による予測をもとに、現在を分析している。それがまた、今の現実とよく合致している。経済の中心が工業製品からサービスへと移行するニューソサエティ。全世界に広まるグローバリゼーションと少子化。これらの要因が、すべてを変えてしまった現在。
ライシュ氏の言う「シンボリック・アナリスト」とは、いわゆる社会的勝者。ライシュ氏は、こうしたエリートが生き残る割合を、全人口に対してたった2割になると予測した。彼らが社会の中核となって収入を独り占めする代わりに、残りの8割はフリーターとなってマニュアル労働を強いられる構造だ。
今の日本では、4割の高校生が大学に進学する。しかし中核労働者になれるのは、全人口の2割にすぎない。だとすると、大卒者のうち中核労働者になれるのは約半分でしかない。恐ろしい事にこの予想は、今年の大卒者の就職実態と、ほぼ合致するのだ。大卒者の半分がスポイルされるってこと?
この本にあった、最もおそろしい話はこうだ。「夢に向かって努力すればその夢は必ず実現するというのは『ウソ』である。全ての人が希望通りの職に就けることはあり得ない。『一生』大学教員になれない博士課程入学者は年に一万人ずつ、『一生』上場企業のホワイトカラーや技術職につけない大学卒業者は、多分、年に数万人ずつ増えて行く。<中略> これに呼応して、一生結婚できないフリーター女性は、年二十万人以上発生していくのである」。信じたくもない話だが、昨今に事情を見るに説得力ある話でもある。
私たち世代(70〜80年代に就職)では、どんな教育を受けようが、大卒でありさえすれば、企業の中で「それなりに」昇進していくことが可能だった。それは、製造業中心に経済が伸び続けることが出来たから。これは今ではもう消え去った「オールド・エコノミー」に過ぎない。「ニュー・エコノミー」では、選ばれたエリートしか、昇進する職種に着くことが出来ない。しかも勝者との逆転もむずかしい。
一体、こうした社会のどこに、出口があるというのだろうか。
グローバリゼーションや、ニュー・エコノミーは止められない。
学生のためにも、なんとかその答えを探したいと思う。
ライシュを改めて読まなくては。