二度と言わない

ロンドンのスピーカーズコーナーでの独演会

「同じ事は二度と言わないから」
こう言って始まったお説教は、たいがい繰り返し聞かされる。

「二度と言わないから」というのは、「これ聞かなかったら大変なことになるからね。あんた」という、いわば脅しにすぎない。「ねえ聞いてくれよ」とか「よく聞いてちょうだい」と下手に出ても良いのだが、上の立場にいる人間としては言いにくい。「同じ事は二度言わないから、耳の穴かっぽじって良く聞け」と高飛車に言う。その上で、同じ事を何度も何度も言う。大学の先生などがよく使う手である。

NHKのアナウンサーもよくこれをやる。さすがに「同じ事は二度言わないので、よく聞いてください」とは言わない。そのかわり、ただただ何回も言う。「ギリシャで内閣信任案が可決されました。繰り返しお伝えします。ギリシャで内閣不信任案が可決されました。ただいま入ったニュースです。ギリシャで...」こんな風に、臨時ニュースになるような大事な話は「何度も」伝える。

「・・かけつされました」というところで、テレビをつけたばかりの人は、「どこで一体なにがかけつされたのか」重要な部分を聞き逃すことになる。我が家のように、テレビはずっとつけっ放でも、視聴者が注意散漫のために、そもそもよく聞いていないというケースも同じである。「・・かけつされました」あたりで、「ん?」っとなってはじめてアナウンサーの声に集中する。だから大事なニュースは、繰り返し読まれなければならないのだ。

NHKディレクター国分拓(こくぶんひろむ)さんが、番組取材を通じて書いた「ヤノマミ」という本。アマゾンの奥地にある未開部落と生活をともにしながら、取材した記録である。この本の中で、ヤノマミの人々は、「大事な事を繰り返し伝える」ということが紹介されている。長老が祭りの開始時期を伝える時や、シャーマンがなにか大事なお告げをする時。こういう時彼らは、部落中央の広場で(ヤノマミの部落は、完全な円形をしていて、中央は丸い広場になっている)祈祷のようなパフォーマンスをはじめる。突然ひとりで立ち上がって、同じ話を何度も何度もくりかえし話し続ける独演会。

国分氏は、この「繰り返し伝える」という行為を、文字を持たないヤノマミとしては当然のことだと分析していた。祭りの開始時期や、狩りにでかける予定など、集団にとって重要なことを文章にして伝えられない以上、口にだして繰り返し言うしか方法がないのだ。なるほど。ヤノマミに回覧板があったら、一瞬で伝えられるのだけれども。その分、半日くらい一人で話続ける事もあるというのだ。これなら、つけっぱなしのテレビと同じ効果がありますよね。「伝えたい」という気持ちもここまでくると、間違いなく部落の全員に伝わる。どんな不注意なやつにも伝わる。

新聞ではこれはやらない。朝日新聞の一面が「ギリシャで内閣信任案が可決されました。繰り返します。ギリシャで内閣信任案が・・・」と同じ内容で埋め尽くされていたら大変だ。インパクトはあるけど、意味ないよね。文字というものは、内容が同じであれば、読みとばせばいいし、逆に一度しか書いてなくても、大事なところは「繰り返し」読むことができる。二度書かなくてもいのだ。

大事な人からもらったラブレター嬉しい。「好き」という部分を、何回でも何回でも繰り返し読んで、うっとりすることが出来るのだ。「好き」「好き」「好き」と繰り返し言われるよりも、このほうがずっといい。大事なメールも何度も読むのだけれど、やはり紙に書かれたものはいいよね。藤原道長の手紙なんて、いまも現存するんだよ。

このブログもだんだん、内容が繰り返しになってきた。このへんで結論に。

「ネットと放送の融合」や「印刷媒体の衰退」が喧伝されて久しい。ドコモを皮切りに、3.9世代超高速モバイル通信・LTEもいよいよ本格化すると、テレビの役割とネットの垣根はいよいよなくなる。朝日も日経もデジタルサービスの普及に熱心だ。紙への執着を失いつつある。なにもかも「違いがなくなって一体化」するのが、これからの流れなのだろう。だがしかし、

テレビやラジオのような「放送媒体」の良さは、ヤノマミの世界の良さなのだ。
新聞や雑誌などの「印刷媒体」の良さは、ラブレターの良さなのだ。

ずっと残していきたいものです。

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Photo: Speaker's Corner, Hyde Park, London 
http://www.urban75.org/london/speakers-corner.html

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