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1月 1, 2012の投稿を表示しています

天使の夢

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「そこにはふたたびわたしを絶望の底無し沼に引きずり込む、まだ力が残っているのではないか」(☆1)

ハリウッドで成功を遂げ、ロンドンに凱旋帰国したチャップリン。熱狂的な歓迎を受けた後で、幼少期を過ごしたケニントン・ロードの街々を訪ねる。そこで母ハンナ、兄シドニイと過ごした日々を回想し、名声と富を手にした現在と、過去を照らし合わせた。その時ふと、この街が、再び自分を不幸のどん底に引きずり込むような、不安にかられたという。

それほど、チャップリンの幼少期は貧困と苦悩の極限だった。ある時から喉をわずらった母ハンナは、舞台女優としての仕事を失う。チャップリン兄弟は貧民院に収容されて、母とは引き離されてしまう。極貧の中を逞しく生き抜き、舞台役者としてなんとか成功への糸口をつかむ兄弟。だがそれはすでに遅かった。あまりの心痛と栄養出張のために、愛する母は発狂してしまっていた。

1921年公開の「キッド」は、こうした極貧の記憶から作られた。路上に捨てられた孤児は、少年時代のチャップリンそのものなのだ。その証拠に、主人公の浮浪者と少年が暮らす、汚れたアパートの屋根裏部屋のつくりは、自伝に書かれた寂しい家とそっくりだ。

言いたいことは明日言え

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「言いたいことは明日言え」

元旦に私が、トイレに取り付けたカレンダー。第一週のページにこう書いてありました。誰の格言なのか知りません。でもありがたい教えです。自分の意見を否定されてムカついた。誰かに思いっきり反論したくなった。どうしても自分の考えを押し通したい。ひとこと言いたい。すぐに言いたい。でもちょっと待て。結局は「言わなきゃ良かった」と猛省することになるんじゃないの?

宴会の席での言い争いなら、うまい解決方法もありますよ。言った方も、言われたほうも、忘れたふりをすればいい。大人ですからね。しかしそのような大人の処世術も通じないのが、メールやソーシャル・ネットワーク。とにかく消えないのですから。上の格言を今風に言いかえてみると、こうでしょうか。

「送信したいことは明日送信せよ」

最初の一日

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今日は、これからの人生の最初の一日。
映画「アメリカン・ビューティー」のクライマックスは、こんなナレーションから始まる。主人公レスター・バーナム(ケヴィン・スペイシー)は、新しいジョギングウェアで、その最初の一日を軽やかに走り出す。そうそう、今日は僕にとって、新しい人生の最初の一日さ。気分は最高。しかしそれはとんでもない一日の始まり。彼にとっての「最後の一日」の始まりだったのだ。(☆1)

レスターは、リストラ寸前の職場から法外な退職金をせしめて、自暴自棄な生活を享受する。いまや人生の意味を完全に見失ったクソ親父。倦怠感ただよう家庭は言い争いが絶えない。こともあろうに、娘の同級生に年甲斐も無く心奪われてしまうレスター。多感期の娘は、この父親を完全に見限っている。なにごとにも完璧を求める妻キャロリンは、不動産業での成功を夢見るあまり、同業者との浮気に走る。隣家に住む堅物の退役軍人、フランク・フィッツ大佐(クリス・クーパー)は筋金入りの右翼。その息子リッキーは、麻薬の売人をやりながらビデオ撮影にふけるサイコパス。

苦悩する天才

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1918年くらいの写真らしい。ハリウッドで、チャールズ・チャップリンが自分自身のために建てた映画スタジオ。おそらく「犬の生活」などの短編を制作しているころの、撮影セットでのスナップだろう。スクリーンで見る、ドタバタ喜劇のチャップリンとは違って、深い思索に沈んだような表情をしている。

この時代のチャップリンは、ラ・ブレア通りのこのスタジオで、時間も予算も、好きなだけかけて、「自由な映画制作」に没頭できるようになった。カーノウ劇団の一員として渡ったアメリカで、成功のきっかけをつかんだチャップリンは、この頃は、まさに破竹の勢いで、映画界の成功の階段を駆け上がっていた。ミューチュアル・フィルム社との、週給1万ドルにボーナス15万ドルという契約を終えたばかり。今は、ファースト・ナショナル社との間で、年間100万ドルの大芸術家として、名を馳せていた。世界中がチャップリンの喜劇に酔いしれていた頃だ。

しかし、こうした大成功の裏で、チャップリンは常に「芸術家としてのカベ」と闘っていたのだった。この頃になると、彼は単なるドタバタ喜劇役者の役割を超えて、監督、演出家、脚本家といった仕事も兼ねるようになった。まさに映画の全責任者である。年間100万ドルは、前もって契約されていたとはいえ、出す映画はすべて成功させなければならない。時には、このスナップのように深く思索に沈むこともあったという。ひどい時にはアイデアがまとまるまで、2〜3日もの間、撮影が中断する事もあった。

富に至る道

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我が家では、新年になってからカレンダーを取り替えます。

元旦の本日は家中のカレンダーが新しくなりました。家長である我輩は、今年は二階のトイレのカレンダーを替える栄誉を与えられました。二階のトイレに掛けられるカレンダーは「こどものべんぞうさま(便蔵さま)」カレンダーと言って、トイレの中で、ゆっくりとクイズに答えて頭が良くなるというもの。名前からいって、運勢が上向きになりそうなもの。新潟の「ぴいくらぶ」という、とてもユニークな企画集団によるものなのです。よかったら、一度ご覧下さい。

ところで、独立前のアメリカで、政治家として活躍したフランクリン(100ドル紙幣に肖像が描かれている)は、若い頃は印刷屋の職工として身を立てていました。いまではなくなってしまった「植字」という作業がとても早く、文章に習熟して文字も良く知っていたので、とても優秀な職工でした。さらに、大変な倹約家であり勤勉な性質であったために、どんどん出世をしていくのです。

そしてフランクリンは、51歳になる1857年まで、25年間も暦を発行していたのです。当時、暦を出すということは、自然科学や数学にも通じていなければならず、またそれなりの社会的地位も必要だったことでしょう。フランクリンは、その暦に「格言」をつけることにしていました。タイトルは「貧しいリチャードの格言」といいます。フランクリンは、この暦を「リチャード・ソーンダース」という偽名で出版しておりました。それなので、暦につける格言も、自分のものとしてではなく「貧しいリチャード」が言ったものとしておいたのです。そうしておきながら、自分でそれを引用したりして涼しい顔。

それというのも、フランクリンが自伝の中で述べているように「人にものを教えるのには、教えているような風をしてはならない、その人の知らぬことでも、忘れたことのように言い出さねばならない」から。フランクリンは自分ではものを知らないふりをするために、こんな手の込んだことをしたのでしょう。しかも、自分自身はかなりの資産家になってしまったので、反感を買わないようにして「貧しいリチャード」の格言ということにしたのですね。