天使の夢

「そこにはふたたびわたしを絶望の底無し沼に引きずり込む、まだ力が残っているのではないか」(☆1)

ハリウッドで成功を遂げ、ロンドンに凱旋帰国したチャップリン。熱狂的な歓迎を受けた後で、幼少期を過ごしたケニントン・ロードの街々を訪ねる。そこで母ハンナ、兄シドニイと過ごした日々を回想し、名声と富を手にした現在と、過去を照らし合わせた。その時ふと、この街が、再び自分を不幸のどん底に引きずり込むような、不安にかられたという。

それほど、チャップリンの幼少期は貧困と苦悩の極限だった。ある時から喉をわずらった母ハンナは、舞台女優としての仕事を失う。チャップリン兄弟は貧民院に収容されて、母とは引き離されてしまう。極貧の中を逞しく生き抜き、舞台役者としてなんとか成功への糸口をつかむ兄弟。だがそれはすでに遅かった。あまりの心痛と栄養出張のために、愛する母は発狂してしまっていた。

1921年公開の「キッド」は、こうした極貧の記憶から作られた。路上に捨てられた孤児は、少年時代のチャップリンそのものなのだ。その証拠に、主人公の浮浪者と少年が暮らす、汚れたアパートの屋根裏部屋のつくりは、自伝に書かれた寂しい家とそっくりだ。

「わずか四メートル四方ほどの広さしかない部屋は、息がつまりそうだった。(中略)傾いた天井が、これまた実際以上に低く見える。窓ぎわの食卓には汚れた皿や茶碗が散らばり、片隅には、壁の裾にぴったり寄せて、古い鉄製ベッドが置かれている」(☆2)

しかしチャップリンは、この映画「キッド」のストーリーを創り上げる中で、自分の人生の結末も変えてしまったようだ。エドナ・パーヴィアンスが演じる母親が、チャップリンの母親で、名子役ジャッキー・クーガン演じる孤児がチャップリン本人。だとすると、この映画の結末では、ふたりとも裕かで暖かい成功した家庭へと迎えられるのだから。

「キッド」が大ヒット作品となった後で、「ピーター・パン」の作者、ジェームズ・バリーから、チャップリンはこう質問された。「この映画の中になぜあの夢の話を入れたんだね?話の流れが中断されるように思うんだが」(☆3)チャップリンはこの時に、「あなたの『シンデレラの接吻』の影響を受けたんですよと正直に答えた」と言っている。

だけど、僕はこんな風にも考えられると思う。無意識の中で、チャップリンは、孤児と母親の運命を変える「天使」になりたかったのだ。「天使」であるチャップリンは、自分の分身である「孤児キッド」の運命を変えたかったのだと。最愛の母親の運命も。自分の人生に「映画」という最高の魔法をかけて見たのだ。

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☆1:「チャップリン自伝(上) - 栄光の日々 -」pp.174
☆2:「チャップリン自伝(上) - 若き日々 -」pp.7
☆3:映画「キッド」のエンディングで、チャップリン演じる主人公は最愛の子供を見失ってしまう。探し疲れた彼は、ドアの外でそのまま眠ってしまう。そして、街の人々がみな天使になる夢を見る。浮浪者も警官も、ケンカ相手もみな天使になって飛んだり踊ったり。

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