最初の一日

今日は、これからの人生の最初の一日。

映画「アメリカン・ビューティー」のクライマックスは、こんなナレーションから始まる。主人公レスター・バーナム(ケヴィン・スペイシー)は、新しいジョギングウェアで、その最初の一日を軽やかに走り出す。そうそう、今日は僕にとって、新しい人生の最初の一日さ。気分は最高。しかしそれはとんでもない一日の始まり。彼にとっての「最後の一日」の始まりだったのだ。(☆1)

レスターは、リストラ寸前の職場から法外な退職金をせしめて、自暴自棄な生活を享受する。いまや人生の意味を完全に見失ったクソ親父。倦怠感ただよう家庭は言い争いが絶えない。こともあろうに、娘の同級生に年甲斐も無く心奪われてしまうレスター。多感期の娘は、この父親を完全に見限っている。なにごとにも完璧を求める妻キャロリンは、不動産業での成功を夢見るあまり、同業者との浮気に走る。隣家に住む堅物の退役軍人、フランク・フィッツ大佐(クリス・クーパー)は筋金入りの右翼。その息子リッキーは、麻薬の売人をやりながらビデオ撮影にふけるサイコパス。

この近所は変人ぞろい。誰もが複雑な人生と内面的問題を抱えている。だが不思議。みな自分だけは「正常」だと信じている。こうした人間が、自分の信じる行動を貫き、お互いに干渉するとき、すべては暴走を始める。人間関係というものは不審と誤解が交差する蜘蛛の糸。もつれにもつれて行き違い。レスターはついに、フィッツ大佐の凶弾に倒れる。

2000年・アカデミー賞作品賞をはじめ、数々の賞を受賞したこの作品の素晴らしさは、やはりストーリーにある。脚本担当のアラン・ボールは、死後のレスターとなって、このストーリーを語る。だから彼だけは、すべてを知っているのだ。すべての登場人物の運命を。

神の存在を無視して生きる、登場人物の中で、たったひとり確信的な宗教観を持っているのが、フィッツ大佐の息子リッキーだ。登場の際にはサイコパスとして描かれる、レスター・フィッツ(ウェス・ベントリー)だが、実は彼こそが、すべての鍵を知る賢者なのだった。(☆2)

彼はビデオカメラのレンズを通して、すべての現象のうしろには、神の慈悲深いまなざしがあるということを知る。たとえそれが、風に舞うゴミ袋であろうとも。この世界のすべてに全能の神の力が宿っている。主人公レスターは、死の瞬間にそれを知る。一瞬の走馬灯のように流れる彼の人生。そして彼は、神のまなざしに触れる。

僕たち人間が、どれだけ貪欲で自分勝手であろうとも、醜く争ってばかりいても。なにをしようと、それはすべて、ある大きな力が支える世界の、ほんの一部の現象にすぎない。

明日という日は、誰にとってもこれからの人生の最初の一日。しかしその日が終わる時にそれがどんな「一日」になるのかは、誰にも分からない。一日の結果が前もって分からないくらいだから、人の一生がどうなるかなんてそもそも分かるはずがない。私たちは、それを知らないからこそ、希望や夢をもって生きられるのだ。先が分からない人生を、悲観的に考えなければならない理由はないのだ。たとえ今現在、つらい問題を抱えていたとしても。

「アメリカン・ビューティー」サム・メンデス監督、アラン・ボール脚本。なんと素晴らしい映画だろう。僕たちの何気ない日常の後ろにある「何か」に気づかせてくれる。一見ホーム・コメディのように見える、実は哲学的な意欲作である。(☆3)

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☆1:このナレーションの全体はこんな感じ。「今日は、あなたの残りの人生の最初の一日。どこかのポスターで見たコピーだ。そう誰にとってもそれは最初の一日。だが、一日だけ例外がある。あなたが死ぬ日だ」

☆2:こういう設定って、よくありますね。最初に悪人だと思った人物が主人公を助けてくれたり、どうでも良いと思った人物が実は重要な鍵を握る。青年リッキーの役は実に重要で、この映画の隠れテーマである「忘れられた神の存在」について語ります。僕はこういう設定の中では、「アラバマ物語」のアーサー・ラドリー(変人ブー)が大好きです。故ロバート・デュバルが見事に演じていました。

☆3:蛇足と知りながらも、この映画のプロットの弱点を指摘しておきたい。(まったく余計なことですが)まず、レスター・バーナムが娘ジェーンの同級生、アンジェラと恋に落ちるくだりに説得力がない。それから、同じく、レスターの最後の夜にアンジェラが泊まりに来なければならない理由がはっきりしない。まあ、アラン・ボールさん本人もとっくに気づいて、それでも良いことにいたのでしょう。だってこうした問題は、ケビン・スペイシーという名優の存在が、きれいさっぱり埋めてくれるんですから。


Photo: Cinema Sights

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