言いたいことは明日言え
アメリカ資本主義の父 |
元旦に私が、トイレに取り付けたカレンダー。第一週のページにこう書いてありました。誰の格言なのか知りません。でもありがたい教えです。自分の意見を否定されてムカついた。誰かに思いっきり反論したくなった。どうしても自分の考えを押し通したい。ひとこと言いたい。すぐに言いたい。でもちょっと待て。結局は「言わなきゃ良かった」と猛省することになるんじゃないの?
宴会の席での言い争いなら、うまい解決方法もありますよ。言った方も、言われたほうも、忘れたふりをすればいい。大人ですからね。しかしそのような大人の処世術も通じないのが、メールやソーシャル・ネットワーク。とにかく消えないのですから。上の格言を今風に言いかえてみると、こうでしょうか。
「送信したいことは明日送信せよ」
怒りで爆発しそうな時に、PCは開けないこと。ムカムカした時は、キーボードにはさわらないこと。とにかく「送信ボタン」は明日まで押してはいけない。
アメリカ建国の父、ベンジャミン・フランクリン。勤勉努力の人です。印刷職工見習いから身を起こして、ついには「独立宣言」の起草者に名を連ねるようにまでなった。100ドル紙幣に印刷された。さすがに彼ほどの方は、人間の出来が違います。有名な「自伝」にこのように書いています。
「議論好きという性質はともすると非常に悪い癖になりやすいもので、この性質を実地に生かすとなると、どうしても人の言うことに反対せねばならず、そのためにしばしばきわめて人付きの悪い人間になり、こうして談話を不快なものにしたり、ぶちこわしてしまうほかに(中略)不愉快な気持ちを起させ、恐らく敵意さえ起させるのである」( 『フランクリン自伝』pp.27)
フランクリンは、周囲の人との議論の名人でした。最終的にはその場の議論に勝つのです。しかしそのやりかたはきわめて、謙虚で穏やかなものだった。人にものを言うのに独断的な言い方はしない。謙譲の心を持って接するので、逆に周りから信頼された。この教えはフランクリン本人の人生においても、とても役立ったのでしょう。
だからこの教えは、わざわざ「自伝」の最初のほうに書いたのでしょうね。私のような怠けものでも、ちょっとページをめくれば目にすることが出来ます。ところで、このような重要な教えなのですが、フランクリンはある例外を設けています。以下のように、ある特定の人たちは、こうした「議論好き」の悪弊からのがれることは無理なのですと。ごもっとも。
「その後私の見たところでは、思慮ある人物は滅多にこの悪弊には陥らない。法律家や大学出の連中、それからエディンバラ育ちの人々は例外であるが(エディンバラは学問の中心)」
ところで、このブログの投稿。「送信」しても大丈夫かな。
えいっと、送っちゃえ!
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Photo Data : National Portrait Gallery, Smithsonian Institution