七十歳定年



七十歳定年となるのも、そう遠いことではないような気がしてきた。年金支給年齢がだんだんあがっていくので、そのぶん「夢の引退生活」が遠のいていく。もう、大変です。年を取ってくると、日々くらしているだけで十分に疲れるのです。このあと十年以上も働くなんて、気が遠くなります。

これが江戸時代だったらな〜。もうとっくに隠居生活なのにな。50歳過ぎたらみんな楽隠居なのにね。

なんて考えていたら、これが実はまったくの間違いだということがわかりました。なんと江戸時代には、すでに七十歳定年ということがあったのでした。享保五年あたりの幕府の記録「老衰御褒美之留(ろうすいごほうびのとめ)」という記録によると、だいたい、幕府のお役人の定年は七十歳くらいだったらしい。

「老衰御褒美」というのは、ちょっとした退職金のようなもので、金二枚ということなので、20万円くらいでしょうか?退職願をだすと、必ずこれがもらえた訳ではなく、在職年数や在職時の働きによって決められたようですね。

さらに驚きの事実。当時の幕府の退職年齢は七十歳と決まっていたわけでないのです。旗本などには、もっともっと高齢者が活躍していたとのことです。

長崎県平戸市の市立図書館に残っている「御旗本長寿調」という記録は、幕府に働いていた人々の「長寿者リスト」のようなもの。これには、八十以上の現役高齢者がずらずらと記録されております。林奉行・井上元七郎=九十九歳という記述もあるのです。なんとまあ、九十九で現役とは、逆に現代ではあり得ないでしょう。江戸時代は意外にも高齢社会。

早々と隠居願いを出して、隠退生活にはいる藩主も多かったこの時代、一方ではこうして超高齢になるまで、現役と競う風潮もあったとか。江戸幕府の役人たちというのは、現代にもまさるワーカホリックだったのですね。まったく驚きです。

これらの事情は、氏家幹人先生の「殿様と鼠小僧」で知りました。この本すごく面白いです。早々と出世を諦め、四十代で隠居生活を始めた、平戸藩主・松浦静山が残した膨大な記録「甲子夜話」などをもとに、江戸時代の隠居生活とその話題を紹介している本です。山内昌之先生も愛読書とされているようです。


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