ツーリズムと百代の過客
月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。もう年の瀬だが、「奥の細道」の序文にあるように、時の流れは止まることなく僕の目の前を通り過ぎていく。
日記文学というジャンルがある。ドナルド・キーン先生の研究によると、日本における日記文学は、世界的に見て非常に文学的な水準にあるのだそうだ。日本以外の国では、日記というものは純粋に記録であり、小説や随筆に比べて価値が劣るものと考えられがち。
日記をつけることに、これだけ愛着を持つのも日本人に特有の習慣らしい。年末になると書店に日記が並ぶ。おかげで、平安時代から江戸時代まで、たくさんの重要な日記が残されている。貴重な歴史資料であると同時に、文学作品として鑑賞に耐えるものがある。
こうした、貴重な日記文学によって、僕たちは過去の人々が、人生という旅を楽しみ、報われない恋を憂い、愛する人との再会を待ち、あるいは死を恐れながら生きていたことを知る。
紀行文「奥の細道」は、松尾芭蕉の旅日記であるのだが、それは完全に後代の鑑賞を前提として書かれたもの。随行した曾良の記録と随所で食い違いがある。それは脚色も含めて、芭蕉の心象風景として完成された旅。読者の期待を裏切らず、永遠の命を持つ作品として企画された作品。今で言えばコンテンツ・ツーリズム。
奥の細道の約50年後に、油谷倭文子(ゆやしずこ)という女性が「伊香保の道ゆきぶり」という旅日記を残している。著名な国学者・賀茂真淵がその早すぎる死を悼んだという才能溢れる方だったらしい。彼女は、清少納言にも劣らない古語の文体を用いて、その旅の道行きを書き残した。
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百代の過客
講談社学術文庫 ドナルド・キーン著 / 金関寿夫 訳