リンゴの時計

アップルです。でもこれは「和りんご」といって、りんごの原種みたいなものだそうです。友人が東宮御所で撮影して送ってくれました。


Apple Watch の発表のあと、いろいろとネットを見ていますと、この新製品の歴史的な価値や売れ行きの見通しなど、さまざまな議論がありますね。

僕自身は、とにかく「文字盤から、針もデジタル数字も消えた」時計であるということが、とても気になります。僕たちの生活をなんらかの形で変えてくれないか、ちょっと期待しています。

ウォッチというからには、あくまで「時計」であるのはずなのに、本来「時計」であることを示していた主要な部品がなくなっている。あるのはフラットなタッチスクリーンだけ。そこに、何か矛盾も感じるし、何か可能性も感じます。小さなiPhoneにベルトがついただけではないはず。

Apple Watch における「時間」とは、なんでしょうか。そのスクリーンに現れる「時間」とは、ダイエットの目標、ジョギングの走行時間、心拍数などのデータが、結びついてこそ意味を持つもののようです。

ただでさえせわしない現代人の生活。そこにさらにいろいろなデータが絡み合って、ぼくたちの「時間」とは、されに精密かつ複雑なものになる運命なのでしょうか? Apple Watch  とは、自分の時間を、徹底的に他人や仕事に同期させ、なにかベストな成果を出すための道具なのでしょうか。

そう考えると、ちょっとコワイです。
これまで以上に、ものすごく効率的に働かせられそうな気がしてきます。

でも、それはまあ、僕たちの使い方次第かな。逆だってあり得ると思います。

フーテンの寅さんのように、風任せ気分任せのきままな生活を送っていても、自分が必用とされている時になったらそれを教えてくれる。別に会議の時間だからって、その場所まで移動する必用もない。FaceTimeで遠隔会議で済ませてしまえますからね。資料なんかも用意しない。みんながそれぞれネットにあげているものを適当につまみ出すだけ。

時間に縛られるというよりも、その時間をとおして、体験を共有したり、意思を通じさせたり、ともに喜んだりするためのツールにならないかな。僕たちを、時間から解放する道具、あるいは、そもそも時間というものを消してしまう道具になったらいい。

そういえば、だってボタンひとつで、スクリーンから時計の文字版、消えるしね。
そんな未来もありそうな気がしてきます。

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