地球の裏側のスケッチ紀行


だんだんブログのタイトルがいい加減になってきた。昨日と同じポルトガルの田舎道でみかけた(グーグル・ストリートビューです)家の前でスケッチしているのだ。夜になって、ひとり静かに地球の反対側の昼の景色を描いていると不思議な心地がする。心がひとりでに瞑想状態のようなものに近づいていくようだ。

このところずっと読み続けている横尾忠則氏の著書によると、横尾氏にとって絵を描く事はは、大人になるよりも、子供に戻ることに近いように思うと言っている。この「子供に戻る」という話は思いのほか深い話であって、良く言う「子供のように純真な気持ちで素直な絵を描く」といった単純なことではないのだ。

横尾氏はテレビにでていた天才的な子供たちが、みな図抜けた才能を発揮しているのを見て、そこにある種の共通点を見たという。まさに子供だからできる、自分を信頼しきった状態、あるいは自分の感じることを信じる状態のようだ。ここで言う「子供のように」というのは、近代的な知性の入る余地のない状態のことをさしているのだ。

近代によって築かれた「自我」に頼ることなく、東洋的な「無我」の態度になりきることなのだ。横尾氏は、これは人類にとって未知の段階であるが、そこに人類の未来を感じないわけにはいかない。そう言っている。最新の心理学に置ける「自己意識」に関する見地と一致していると思う。

「自己意識」というものは、実は人間の思考や行動をコントロールしているものではなくて、単に情報の要点だけをモニターしているものなのかもしれないのだ。それを「自己」だと信じるきるということは、人間が自分の能力のほんの少ししかを信じていないことに等しい。人間の能力というものは「自己意識」の知らない、広大なマインド全体に広がっているのかもしれない。

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