磁器口 Get link Facebook Twitter Pinterest Email Other Apps - Monday, October 10, 2016 かねがね古い中国に出会いたいと思っていた。 CYBERWORLDS2016の開催地、重慶の近郊に「磁器口」という古代からの陶磁器の生産地跡があって、石造りの家々が斜面を覆うように並んでいる。ウプサラ大学の林先生と空き時間にぶらぶらと訪れてみた。坂をのぼったりおりたりするたびに、景観がさまざまに変化する。やっと中国の情緒というものに触れられたような気がする。 Get link Facebook Twitter Pinterest Email Other Apps
レイチェル・リンド - Thursday, September 03, 2015 宝石のようなカップ / 小伝馬町のカフェ華月で レイチェル・リンドというおばさんのことを覚えていますか? 「赤毛のアン」に登場する、わりと重要なキャラクターですよね。アンが住むグリーンゲーブルスから丘を下っていったあたりに住んでいました。だから、アンの養父母である、マリラやマシューが街へ向かう時には、どうしてもこのレイチェル・リンドさんの家の前を通ることになります。 家事全般を完ぺきにこなす主婦であり、人の行動倫理を極める教育者でもある。こういう人だから、マリラのアンに対する教育方針にもなにかと口を出す。悪い人ではないんだけど、真面目過ぎてちょっと困った人です。 彼女は、自分の家の周囲で何か変わったことがあると、それが何なのかが理解できるまで、徹底的に調べないと気がすみません。マシューがちょっと正装して通っただけで落ち着かなくなってしまう。 「ああ、これで私の一日は台無しだわ」 いったい何があったのだろうと、行き先をあれこれ詮索しないではいられません。家事も、なにも手につかなくなってしまう。 カナダの田舎アボンリーに住むレイチェル・リンドですが、SNSに時間を費やす僕たちによく似てませんか。 誰がいま何をやっているのか、どこへ行っているのか、何をつぶやいているのか。仕事をしているのか、休暇をとっているのか、誰と食事しているのか、タイムラインをチェックせずにはいられない。 まわりが何をやっているのかいつも気になる。 でもそのくせまわりと同じ事はやりたくない。 みんなそういうものですよね僕たち人間って。 つづきを読む >>
クリングゾルの最後の夏 - Monday, December 03, 2012 ヘルマン・ヘッセは、生涯の旺盛な読書を通じて、中国、日本などの東洋思想に惹かれていた。実際に南アジア方面への旅行を通じて著した「インドから」という本もありますし「シッダールダ」という本も書いています。 「クリングゾルの最後の夏」(☆1)という小説は、四十二歳で生涯を閉じようとする一人の画家を主人公にヨーロッパの没落を扱った異色の小編だそうです。読んでみたいけど、なかなか入手できないです。この小説に出てくる主人公たちは、お互いを「杜甫」「李太白」などと呼び合う。彼らの会話は、まるで禅問答。 つづきを読む >>
道に迷った時には - Friday, October 02, 2015 こんなとこなら迷っても当然 慣れない駅のホームで電車から降りたとき、僕は右左どちらの階段に向かうべきなのか分からなくなる。それはまあ仕方ないことだ。駅の改札を出てから目的地に向かう時にも、方向が分からない。これも仕方ないかも。深刻なのは、良く知っている場所でも、ちょいちょい迷子になることだ。以前働いていた会社の社屋内ですら迷ったことがある。 僕はこれを「生まれつきの方向音痴だから」ということにしている。しかし一方で、それがただの言い訳に過ぎないことも知っている。人間には方位を感じる感覚器官など無いではないか。感覚の問題ではなく、そもそも地理的情報が欠落しているだけなのだ。地図を整理して頭に入れようと努力せずに、「勘」で方向決めている僕は音痴ではないのだ。きっと、ただの怠け者なのだ。 大学で若い世代の人たちと接していると「人生で進みたい方向がわからなくなった」という悩みを聞くこともある。そんな時は、彼らにこんな風に話をする。「君は社会とい地図を知らないだけなんだよ。道に迷わば木を切りてその年輪を見よ(☆1)と言うしかからね」 偉そうな言い方ですが、僕自身が痛い目に合って、身に沁みていることですからね。 - - - - - - - - - - - - - - - - - - ☆1: 道に迷わば木を切りて年輪を見よ 「木を切って年輪を見る」とは「歴史を学んで進むべき方向を知る」という意味なのだそうです。 寺島実郎さんの著書「歴史を深く吸い込み、未来を想う」で紹介されていました。 つづきを読む >>