生き残るヤツら


最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでもない。
唯一生き残るのは変化する者である。(ダーウィン『種の起原』より ☆1)

環境の変化に適応できた種のみが生き残る。これが「進化論」の中心理論だ。地球上で現在繁栄している生物種は、いずれもなんらかの形で、そのサバイバルに成功して来たものたちである。人間はその頂点に立つ。一方で恐竜のように、ある時期に繁栄を極めても、その後の急激な環境変動についていくことができずに絶滅してしまったものもある。

環境に対して適応して生きる能力のことを、システム工学では、「ロバストネス」というそうだ。生物の世界でも、シロクマは極寒の環境に対して「ロバストネス」がある、というように使う。台風でも倒れないヤシの樹は、強風に対して「ロバスト」である、といった使い方もする。癌細胞はさまざまな薬に対して「ロバスト」である。生物は自分が生きている環境に対して何か「ロバストネス」を持っている。(☆2)

だが「ロバストネス」の裏側には「フラジリティ(脆弱性)」が潜んでいる。ある条件に対して「ロバスト」なシステムでも、他の何かの条件に対しては「フラジャイル」であるかもしれない。あれだけ、大繁栄をとげた恐竜がすべて死に絶えてしまったのは、彼らが何かに対して「フラジャイル」だったから。環境に対して自らを変化させることが出来なければ、生き残ることはできないのだ。

ドン・キホーテのような「騎士」は、中世に活躍した。当時の「騎士」たちにとっての「ロバストネス」とは、馬術と槍術に支えられた騎士道。どんな敵に対してもあきらめることなく、馬と槍一本で立ち向かって行く。しかし彼らの馬術と槍術は、現代社会では役に立たない。ドン・キホーテの「ロバストネス」は、現代社会においては「フラジャイル」な要素となってしまう。

弱きをたすけ強きをくじく「騎士」が、現代で生きていくにはどうするか。彼らには「職替え」の道しか残されていない。アタッシュケースに商品見本をつめてシンガポールに出張。あるいはハイテク戦闘機でアフガニスタン上空を飛び回る。MBAを取得して、高級スーツに身を固めてウォール街を闊歩。いや、いっそのこと、突然変異でスパイダーマンにでもなった方が早いかも。

日テレのドラマ「ドンキホーテ」が、昨夜終了した。今年、私の夏はこの荒唐無稽なドラマとともにあった。松田翔太と高橋克実が共演する聞いただけでワクワクするのに、その二人が「人間入れ替え」になるというのだから、面白くないわけがない。すっかり入れ込んでしまった。

高橋克美演じるヤクザの組長、鯖島仁。そして、松田翔太演じる児童相談員、城田正孝。どちらも、共通点は現代の「ドンキホーテ」であること。二人とも自分の仕事となると、過度の情熱と異常な執念を燃やすマニアック。もっと普通に生きればいいのに、自分の使命に燃え、男の理想を追いかけている。

鯖島は、とことん「強さと男気」を追求する極道の組長。決まり文句は「ガン・ドン・ズドン!」。 つまり、考えるよりも先に手が出る。腕力と胆力で闘う現代の戦士。ケンカはめっぽう強い。一方の城田の武器は「優しさと思いやり」。市役所の職員時代に、自分の持つ子供への愛情と、児童福祉への情熱に目覚め、児童相談所へ異動してきた。

極道の腕力勝負では抜群にロバストな、鯖島仁。
子供を守る優しさにロバストネスがある、城田正孝。

この二人の中身が、ある超常現象によって入れ替わる。(よくある設定だけど、僕はこういうの好きなんです)よりによって、強面のヤクザが児童相談所で働く。軟弱な児童相談員は、暴力団の跡目争いに巻き込まれて行く。自分の不慣れな環境に、突然放り込まれて、完全アウェーな戦いを強いられる二人。彼らの戦いは、おのれのフラジリティとの戦いでもあった。

(つづく)

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☆1:糸井重里さんのつぶやき(9月23日)。糸井さんが気仙沼をたずねたおりに、斉吉商店さんの神棚で見た、貼り紙の文字だそうです。糸井さんは、思わず拝みたくなったという。
☆2:
「したたかな生命」(北野宏明+竹内薫 / ダイヤモンド社)は、癌遺伝子と戦う医療現場から、飛行機事故を防ぐハイテク技術まで、目からウロコの新説がいっぱい。ロバストネスという概念って、様々なものごとにあてはめてみることができるんだね。


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