三角定規は永遠に


「ゴモラ商事さんのパンフ原稿ですが、さきほど完成いたしました」

上司のカワサキ部長に、あなたはこう報告します。明日完成予定の、ゴモラ商事のデザインが、一日早めに仕上がったのです。徹夜で頑張ったんだから、大変でした。ちょっとドヤ顔のあなたに、部長はなんと言うでしょうか。

「ふむふむ。早いね。さすがはハヤタ君だね。明日は休暇を取って、温泉にでも行ってきたまえ。いつもご苦労様」

そんなこと言うはずがないでしょ。「釣りバカ」のハマちゃんが部長なら言うかもしれないけど。しかしハマちゃんが部長になるはずがない。職場の上司というものにとっては、仕事の効率化が至上命題。誰が「温泉に行ってきたまえ」なんて言うものか。かわりに、こう言うに決まってる。

「やはりハヤタ君に頼んで良かった。聞いていると思うが、ガラモン電機さんからWEBの修正がはいったんだ。早速、それに取りかかってくれたまえ。そしてそれが終わったら... 」この部長が考えていることは、ネジ工場の青年将校と大差はないのかもしれないのだ。さすがに拳銃を持ち出して撃ちまくったりはしないけど。

ネジ工場の場合、ラインの生産効率を上げる努力をするのは当然。もっと早くもっと沢山のネジを作るのだ。工程を機械化する。生産ラインを改善する。職人の生産意識を上げる。終わりなき「カイゼン」が、日本の産業の生産力を支える。その結果、カイシャの業績もシャインの給料も上がる!

しかし、ネジの生産とデザインの制作では、話が違うはずでは。

どう違うのか? ネジは「モノ」です。いくつ作ったって「モノ」は「モノ」です。作れば作るほど安価となる。そしてそれが、生産工程全体の経済効率を高める。しかし「デザイン」は「創造物」です。デザイナーの「創造性」が発揮された結果生まれた、神聖なる「作品」なのです。「作品」には、常に変わらない価値がある。沢山作られたからといって、その価値が下がることはないはずだ。

しかし時代は変わった。ついに「創造性」もデジタル化されてしまったのだ。デジタルのおかげで、本来はデザイナーの才能による「創作過程」までが、ツール化されてしまった。定規も使わずに美しい線が引ける。何度でもカラーシミュレーションが出来る。ひとつの作品を、何通りにもコピーしてレイアウトを試すことができる。即座にデザインを確認することができる。写真素材だって、ネットから取り寄せることが出来る。

本来デザイナーとは「三角定規」一本で、どんな作品だって生み出せる人。自分の頭の中で、数々のデザインを生み出し、最高のアウトプットを出せる人。普通の人間には見えないものが、見える人。デザイナーとは、そういうものであった。

しかし、僕たちはもう「三角定規」の世界にはもどれない。より早く、より多くの作品を生み出すには、デジタルの助けが必要だ。デジタルなしで、現代のデザインの仕事はできない。ゆっくりと考え、頭の中でアイデアをくみ上げる時間が、どんどんなくなってくる。

便利で早いツールを手に入れたデザイナー。しかし、それとひきかえに、大きな重要なものをいくつも失ってしまった。

まず「仕事の価値」を失った。デザインの仕事がスピードアップした分、一本あたりの作品の値段は下がってしまった。つぎに「考える時間」を失った。仕事のプロセスが短くなっただけ、考え込む時間もリトライする時間もなくなってしまった。さらに「仕事のチャンス」を失った。ツールの充実のおかげで、沢山の人がデザインの仕事に着くようになり、デザイナーの競争は激しくなった。そしてこれが仕事の価格低下を招くという悪循環を生み出す。

「三角定規にもどれ」とは言えません。でも少し考え直すことがありそうです。
(つづく)

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