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6月 2, 2013の投稿を表示しています

次に生まれてくるときには

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映画の世界などで「次に生まれてくるときには」と言うセリフを聞くことがあります。仏教で教えるところの「輪廻」という概念によれば、人生には前世も来世もあるはず。時に前世のことを覚えているという人がいて、性別や身分や出身地など現世のものとはまるで違うそれを知っているとか。

ワタシの場合は、そんなこと全く分かりませんが、何か想像してみると遥かな大宇宙に漂う存在としての自分の姿が見えるような気もします。自然界が営んでいる「世代交代と進化のプロセス」は、「輪廻」と呼ばれるものに似ているようにも思える。

探検する人しない人

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東北大学には「探検部」という勇ましい名前のサークルがあった。(今もあるのかしら?)高校で仲良しだった先輩が所属していて、例えば、日本を北の端から南の端まで歩くとか、急流を手こぎゴムボートで下るとか、いろいろと無謀な「探検」に挑戦していた。(☆1)
インドア派で危ないことが嫌いな(つまりビビリ虫の)私には、そんな自分の身をキケンにさらすことの何が面白いのか、まったく理解できなかった。しかし一方心のどこかでは、自分のやれないようなことにチャレンジする人たちが、どこかまぶしくうらやましく思えたものだ。

テレパシーの世界へ

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東京タワー。この6月1日を持って、電波塔としての仕事は完全引退されました。これからは、純粋に見晴台として、そしてまた東京のシンボルとして、そこに立っていてくれればいいんんです。実は私も東京タワーと同じ昭和33年の生まれ。自分自身も「そこに立っているだけでいいんだよ」と言われる年齢であることを、強く感じる次第でございます。
電波というものは、本当に不思議な存在。目で見ることも触ることもできない。僕たちにはその存在を感じることすらできない。光というのもの一種だけど、光そのものは見ない。ものに反射して眼球に飛び込んでくる光の粒子が網膜に当たる。それを電気信号に変えて、僕たちの脳は世界を見ている。まあ、見ていることにしている。そんな感じらしい。

手作業というものはなくなるの?

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葛飾柴又の帝釈天題経寺。映画「男はつらいよ」の舞台となった柴又のシンボルです。正月などはいまも沢山の参詣客で賑わうスポットになっております。この帝釈天の本堂は、建物の外側がすべて、素晴らしいレリーフ木彫に覆われていています。手仕事による彫刻の美しさ。 近くで見るとその精緻な立体表現に驚嘆します。(☆1)
さきごろより、3Dプリンターというものが流行中。コンピュータで作った三次元モデルの形状をそのまま立体にすることができる。複雑な形状を計測したり、作り出すことができる。建築や自動車産業はもちろん、医療への応用も期待されています。芸術分野も有望で、3Dアート作品というものもどんどん生まれるでしょう。

リラックスタイムしましょう

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「ガンバる」という言葉が似合う日本人。学生時代はそれほどでもないけれど、社会人になると、みーんな突然「ガンバる」人に変身。それもあっという間のこと。いつもびっくりします。それだけ日本の社会というものは、「みんなで頑張りましょー」というムードの社会だということですね。
私自身もそうでした。学生時代は(大学院をいれて6年間も)本当にゆっくりと、人生のことを考えたりぼんやり自分の将来を考えたり。とにかく学生時代というものが、永遠に続けばいいなーなんて、本気で考えていた。

それがあるきっかけで、某放送局に就職することになって、すべては一変してしまいました。わたしも「ガンバる」社会の、立派な一員となったのです。それからおよそ24年もの間、文字通り馬車馬のごとく働いた。恐るべきことです。

コスモスが生まれてくるまでの時間

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キバナコスモスという花だそうです。春先から、近所の道ばたにずっと咲いてくれている。これにミツバチなんかがとまっていたりすると、すっかりメルヘンな雰囲気になってしまうのです。とても和む直物ですが、写真を撮ってみつめているうちに、ある「疑問と妄想」が浮かんできた。
なんでまた「花」というものは、どれもこれもこんなにも美しいのだろうか。ダーウィンの進化論によれば、それはこの自然界が「選択」した結果だというのです。ながいながい時間の間に、よりよいものが選ばれて生き残る。この世界によりよく順応したものが生き残る。だから花たちというものは、どれもこれも綺麗なものが残った。選んだのは昆虫だし (=゚ω゚)ノ