ニンゲンとは妄想する生き物である

確かに「キュウリ」って言ってた

「中学生円山」観ました(=゚ω゚)ノ。 何を書いてもネタバレになりそうなくらい、手の混んだストーリーと演出でございました。でもこの「キウィ」くらいは出してもいいよね。中村トオル演じるパパが、確かに「キウィ」のことを「キュウリ」って言ってましたよね。言ってた言ってた。

朝ドラで「あまちゃん」が大ブレイク中の今、宮藤官九郎の脚本・監督作品。朝ドラを抱えてるだけで大変でしょうに、これだけの映画も世に出してしまうというのは? 一体、あなたはピカソなの?ダビンチなの? すさまじい創作力。朝ドラではできないストーリーのオンパレード。良識派のかたには「ちょっとね」というところも「ちょっと」あるとしても、すでに今年のワタシ的ナンバーワン候補にランキングされました。

「妄想」という、人間にだけ与えられた能力をフルパワーに活用して、またそれを綺麗なパターンに並べるのが、クドカンの作品の基本だとは思います。しかし今回は劇中に、繰り返し「妄想」というテーマがはっきりと何度も現れます。「流星の絆」の時なんかは、一部の劇中劇でのみ出現していた「妄想(妄想係長シリーズ)」ですが、今回は「妄想」そのものが映画になってしまったような感じ。

この映画に登場する団地の良識的住民のみなさんにとって(つまり平均的東京都民にとって)「妄想」などというものは、日常では隠しておきたいコトゴト。ところが、中学生円山にとってはそれが人生そのものであって、毎日の生活がそのまま「妄想」。実のところは円山だけでなく、すべてのオトナたちも、それぞれ自分自身の「妄想」の中に暮らしているのだけどね。オトナは自分ではそれを認めていない。

日本を代表する大人類学者の故梅棹忠夫先生。自伝のタイトルに「行為と妄想」とつけられました。一度だけ、国立民族学博物館の研究室でお会いする機会があり、緊張のあまり、ほとんど何もお話できなかった私ですが、この本を手にしながら梅棹先生のお話を聞くというのは何という幸せな時間だったかと、今しみじみ思うのです。あの時、梅棹先生は人間にとって、特に幼少期において「妄想」というものがいかに重要かを、教えて下さった。

常識や経験にとらわれずに、自分のイマジネーションを羽ばたかせること。オトナになんと言われようと、学校の先生に何を叱られようとも、自分の頭の中では自由自在に大樹の枝をのびのびと伸ばす。それこそが人間として生まれ、天から授かった創造性を生かす方法。もしそうしないのだったら、人間というものはただの「ロボット」だ。

ちょっと心配なのは、いまの学校ってこの映画と全く逆のことを教えているのではないだろうか。創造生と探究心の宝庫であるはずの大学だって、もしかすると「正解と間違い」をわけるだけの機関になってはいないだろうか。そクドカンは、そういう常識的な考えを打ち破る映画を作ってくれる。

短い人生の時間の中で、ひとりの人間が知り得る「真実」とはどれほどのものなのだろう。つい500年くらい前まで、人類は地球が球体だとは思っていなかった。20世紀になるまで、時間が縮むものなどと知らなかった。ガリレオの地動説も、アインシュタインの相対性理論も、はじめは「妄想」扱いされていたのだから。

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