失踪したくなった時には


むかしむかし「蒸発」という言葉が流行ったことががある。真面目一徹だったサラリーマンが、ある日突然消えてしまう。一家を笑顔でささえていたパパがある日突然消息をたってしまう。誰しも「会社にいきたくない」とか「学校にいきたくない」という気持ちになることがあるだろう。

「男はつらいよ」シリーズ第34作、「寅次郎 真実一路」では、米倉斉加年演じる熟年トレーダー富永が失踪。残された美しい奥様(大原麗子)に頼まれて、人のいいの寅さんが富永の捜索に大奮闘する。牛久から大手町まで遠距離通勤するエリートサラリーマンが、ふと消えてしまいたくなる。マイホームの夢を達成した後、熟年男性を襲う空虚感。そんな当時の世相が鮮やかに描かれていた。

あの頃と時代は変わったけど、いまでも「ふと、日常が嫌になる」ということは誰にでも起こりえることだ。いまの大学では、ちょっとしたことで「大学に通いたくない」学生が増えているようだ。高校とは違って、大学のカリキュラムというものは自分で事由に選んで自分の意思で参加するもの。自分でモチベーションをキープしなければやっていけない。

うちの研究室のある学生さんが、いまどきの学生さんの心理を分析してこう言っていた。「ひとり反省会をやって、落ち込んでしまってる」 なるほど、「学校にいきたくない」という場合本人のプライドが邪魔するということもあるようだ。みんな意外と真面目。自分について「ワタシはこうでなくてはならない」というように、過度に厳しくガイドラインを引く。

東京現代美術館で開催中の「手塚治虫×石ノ森章太郎・マンガの力」展にお邪魔してきた。(☆1)この二人の巨匠が、戦後日本の文化に与えた影響の大きさがわかる、素晴らしい展覧会。そこで大発見したことがある。なんと、あの手塚治虫先生にも「失踪」の前歴があったということ。それも一度ではなく2度も。トキワ荘の漫画家仲間は手塚先生が「どうやら九州あたりを放浪しているらしい」とか情報を得ていた。それでも連載の穴を埋めないように、残されたメンバーでこっそり原稿を描いてつないでいたという。

実にいいなー。失踪する方も、それをカバーする方も、どこか人間の温情的で余裕があって。「しょうがねーなー」みたいな。漫画の連載というのも、穴の開けられない大事なものだけど、失踪して何か人生の大事なことを探すのももしかしてもっと事なことみたいな、ゆったりした感覚が流れていたのね。

いまどきの社会、ちょっと余裕がなくなっている。みんなが大変なのでお互いに許し合える「許容範囲」がせまくなった。「大学という所場所は世界一美しい場所」と言った哲学者があった。みんなで理想を追いかけて議論をぶつけあう。そして自分の人生の理想を最高のレベルで組み上げる場所。そういう場所には「心の余裕」が必用。

学生がひとりひとりが主役になって「自分の理想を追いかける」。大学とはそんな場所でありたい。他人と成績を比較したり、内定の後先を比べたりばかりでは、息がつまるよね。むしろ学生さんたちが、ほっとするような場所にしたいものだけど。

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☆1:番組もあります:NHK BSプレミアム「手塚治虫 × 石ノ森章太郎」

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