時代が濾過するもの


ポーランド出張で最初の食事は、イタリアンのスパゲティ・ボロネーゼでした。チャンスを逃しているというか、自分で状況がわかっていないというか、ちょっと残念ですよね。ピエロぎ食べればよかったのに...

だって世界中どこへ出かけても、イタリアン料理は盤石で美味しいんです。そういえば、昨年の出張で、何時間も待たされた香港の空港ターミナルで食べたのもボロネーゼでした。とにかく疲れていたりするときは安心なのです。

ところで、我が家のトイレのカレンダー。今月の格言は高村光太郎先生の 「時代は去る。しかし時代が濾過した人類への寄与は永久に死なない」という言葉でした。

イタリアが産んだボロネーゼ・スパゲティは、時代が濾過したもの、時代が選択した美味しい料理ということで、世界に広まって行ったのだ。美味しいものは永遠になくならない。未来に残るのものなのだ。

それでは、日本発のものの中からは、何が生き残るのだろうか。
時代の濾過に耐え、日本から世界に広がって行くものって?

アニメ文化。モッタイナイの心。 
それともタクシーの自動ドア? 
やはり観光客に大人気の回転寿司?
ポケモンGo?

意外と思い浮かばない...

なんでもいいけど、とにかく、
数百年後に日本が尊敬されるものがいいですね。


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友人からコメントいただいたので、以下追記します... 

なんと、スパゲティ・ボロネーゼの発祥の地、イタリアのボローニャでは、ボロネーゼにトマトは使わないとのこと。コロンブスがトマトを見つけてくる以前からあるのだから、間違いないとのことです。 これも時代に濾過された結果なのですね。 肉とスパゲティの料理だったボロネーゼに、いつかトマトが加わって、世界に広まったということでしょうか。長い時間をかけて。

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