見つめる

「蛇ににらまれた蛙」というが、誰もが、ふと気「誰かに見られている」と感じた経験があるはずだ。程度の差はあれ「他人の視線が気になる」という感覚は、むしろ人間にとって日常的な感覚としてあると思う。人間だけではなく、この世界を動き回って活動「動物」すべてが、この「誰かに見られている」という感覚に動かされて行動しているという。

サイモン・イングス氏は、近著「見る」の中で、こう指摘している。以下のような、わたしたちの言葉のさりげない表現が、眼の社会的重要性を物語っていると。

「彼の視線でわたしは溶けた」
「彼らの視線はナイフのように私の胸に突き刺さった」
「彼女は例の目つきでわたしを見た」

「見る」(P.231)

集団生活を送る動物は、それが鳥であれネズミであれ、何らかの形で「序列」を決めている。それはたいがいは、日常的な力比べ(食べ物の取り合い、寝心地の良い寝床の争い、配偶者の奪い合いなど)という形で現れる。人間社会も、典型的な集団社会であり、そこでの生活は「序列」による秩序が重要なキーとなる。集団の構成メンバーは、誰もが誰に対しても正しくふるまわらなければならない。そして、人間など霊長類の場合、そのコミュニケーションにおいてきわめて重要な役割を果たすのが「眼」である。かくして、人間はきわめて正確かつ敏速に「眼」の表情を読み取ることができるようになった。

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イングス氏は、1879年にカナダの無神論者グラント・アレンが生態学につて書いた以下の文章を引用している。視覚の出現が、自然界の多様性の引き金になったということを、非常に良く説明しているから。

昆虫が花を生み出す。花が昆虫の色彩感覚を生み出す。
色彩感覚が色に対する好みを生み出す。
色に対する好みが、コガネムシや輝くチョウを生み出す。

小鳥と哺乳類が果実を生み出す。
果実が小鳥や哺乳類の色の好みを生み出す。
色に対する好みがハチドリやオウムやサルの体色を生み出す。

果実食の人間の祖先にも同じ好みが生まれる。
その好みが結果として、さまざまな色彩アートを生み出す。

「見る」(P.163)
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進化論にもとづいて考えれば、私たち人間や動物の行っていることは、すべて「種」の生存競争、生き残りの闘いである。グラント・アレン流に言えば、色彩によるアートを生み出す人間は、アーティスト(芸術家)というよりもウォーリアー(戦闘家)あるいはハンター(狩猟家)と言うべきなのだろうか。

人は「選ばれる」ために自分を磨くき、自分に投資する。年頃の娘さんは化粧をしドレスアップする。就職活動中の学生はスーツに身を固める。花たちも虫に「選ばれる」ために色彩の饗宴を繰り広げる。「選ばれる」ということとは「生き残り」「勝ち抜く」ということなのだ。そう考えると、世の中はとたんに殺伐とした世界のように思えてくる。


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