火水未済 Get link Facebook X Pinterest Email Other Apps - Thursday, December 31, 2009 今日は2009年の大晦日。「易経・一日一言」から31日のページをめくってみた。易経六十四卦の最終にある「火水未済(かすいびせい)」が載っていた。未完成の時を説く卦(か)である。その説くところは以下の通り。 完成を終わりと満足しては、発展がない。自分が未完成であるということに気づくことで、人間は謙虚になり、努力成長しようと思うのだ。科学技術の発展も、ひとりの人間の成長と同様、終わることのない失敗と挑戦の繰り返しにならざるを得ない。 Get link Facebook X Pinterest Email Other Apps
レイチェル・リンド - Thursday, September 03, 2015 宝石のようなカップ / 小伝馬町のカフェ華月で レイチェル・リンドというおばさんのことを覚えていますか? 「赤毛のアン」に登場する、わりと重要なキャラクターですよね。アンが住むグリーンゲーブルスから丘を下っていったあたりに住んでいました。だから、アンの養父母である、マリラやマシューが街へ向かう時には、どうしてもこのレイチェル・リンドさんの家の前を通ることになります。 家事全般を完ぺきにこなす主婦であり、人の行動倫理を極める教育者でもある。こういう人だから、マリラのアンに対する教育方針にもなにかと口を出す。悪い人ではないんだけど、真面目過ぎてちょっと困った人です。 彼女は、自分の家の周囲で何か変わったことがあると、それが何なのかが理解できるまで、徹底的に調べないと気がすみません。マシューがちょっと正装して通っただけで落ち着かなくなってしまう。 「ああ、これで私の一日は台無しだわ」 いったい何があったのだろうと、行き先をあれこれ詮索しないではいられません。家事も、なにも手につかなくなってしまう。 カナダの田舎アボンリーに住むレイチェル・リンドですが、SNSに時間を費やす僕たちによく似てませんか。 誰がいま何をやっているのか、どこへ行っているのか、何をつぶやいているのか。仕事をしているのか、休暇をとっているのか、誰と食事しているのか、タイムラインをチェックせずにはいられない。 まわりが何をやっているのかいつも気になる。 でもそのくせまわりと同じ事はやりたくない。 みんなそういうものですよね僕たち人間って。 つづきを読む >>
九方皐 - Friday, December 18, 2009 馬が特に重要な国力の一つである秦国の穆(ぼく)公の時のこと、ある日、公は名馬を見抜く名人である伯楽を呼んで「お前も年をとった。お前の一門に馬を相(み)させられる者があるか」と聞いた。 伯楽は「自分の子供はみな下才なので、良馬程度ならば見方を教えられるのですが、天下の名馬となると、これの見方を教えることは口ではできません。そのかわりに、私の貧乏仲間に九方皐(きゅうほうこう)という者がおります」と答えた。 そこで、穆公は九方皐を引見して馬を求めさせた。三ヶ月たったある日、彼は「見つけました。沙丘におります。牝の黄毛でございます」と報告した。穆公は早速引き取らせに使者を遣ったところ、それは牡の黒駒であった。「だめだ。お前の推薦した九方皐というやつは、馬の毛色や牝牡さえわからぬ奴ではないか」と伯楽を叱った。 伯楽は、逆に感じ入った様子で、こう言った。「そうですか、九方皐はそのレベルにまで達しておりましたか。彼が観るのは天機というべきもので、その精を得て、その粗を忘れ、その内に在って、その外を忘れ、その見るべき所を見て、その見ないでもいい所を見ず、そんな所にかまっていません。彼が馬を相する段になると、馬なんてものを見ていません、馬よりも貴いものがあるのでございます」。 安岡正篤著「老荘のこころ」より p.72 原典は「列子」説符、「淮南子」道応訓 つづきを読む>>> つづきを読む >>
クリングゾルの最後の夏 - Monday, December 03, 2012 ヘルマン・ヘッセは、生涯の旺盛な読書を通じて、中国、日本などの東洋思想に惹かれていた。実際に南アジア方面への旅行を通じて著した「インドから」という本もありますし「シッダールダ」という本も書いています。 「クリングゾルの最後の夏」(☆1)という小説は、四十二歳で生涯を閉じようとする一人の画家を主人公にヨーロッパの没落を扱った異色の小編だそうです。読んでみたいけど、なかなか入手できないです。この小説に出てくる主人公たちは、お互いを「杜甫」「李太白」などと呼び合う。彼らの会話は、まるで禅問答。 つづきを読む >>