言葉を持った人間

普段はすっかり忘れてしまっているのだが、人間が言葉を持っているということは、本当に素晴らしいことだ。もしも人間社会に「言葉」という道具がなかったならば、本当に大変なことになる。手紙どころか、メールも打てないし、本も読めないので、なんの知識を得ることもできないだろう。自分の生活の範囲で得られる情報だけにかこまれて、他国のことも知らず、過去の歴史も知らずに生きていくことになる。

だけど、この21世紀初めのような、不景気で殺伐とした世相になってくると、人間が「言葉」を持っていることで起きる厄災の方が目立ってきて、もしかしたら「言葉」なんてものが無かった方が、世の中は平和だったのではないか、なんて思えてくるのだ。

政治家がうっかり漏らした「言葉」。だれかがうっかりブログに書き込んだ「言葉」。いままでは、特に新聞やテレビといった、大メディアが取り上げなかったような「言葉」は、現代の拡声装置であるネットに乗って、思いも寄らない規模で拡散していく。すると、これがまた思いも寄らないトラブルになって、名誉毀損やらなんやら、無くてもよかったような騒動に発展していく。

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