1966年のペニー・レイン


1966年の年末。ロンドンで、ポール・マッカートニーは「ペニー・レイン」という名曲に取り組んでいた。「ペニー・レイン」のレコーディング作業は、年末に開始されたのだけど、途中のまま年越しとなった。1966年12月30日の深夜12時過ぎに中断されて、年越しの宿題となった。
新年1月2日の月曜日と4日の水曜日には、ジョージ・マーティンとジェフ・エメリックが、正月返上で出勤をして、アメリカに送るためのミックスダウンを、作っていのだそうだけどね。
正月明けの6日以降、ペニー・レインの録音作業は3週間近くも続き、多層的で精緻なサウンドが重ねられていった。当時ビートルズは、常識はずれのスタイルで、誰もやったことがない革命的スタジオ・レコーディング技術に挑戦していたのだ。
1967年2月17日にこの曲は、同時進行で作られていたもうひとつの名作「ストロベリー・フィールズ・フォーレバー」とととにカップリングされてシングル・リリースされるのだが、それまで大変な芸術的な作業がつぎ込まれたんだ。
ビートルズのレコーディングの完全記録を残した、マーク・ルィーソンは、こう書いている。ペニー・レインと、ストロベリー・フィールズ・フォーレバーは、兄弟のような曲でありながら、ジョンとポールという、どちらも強力な個性によって作られた、個性的な曲である。そして、この2曲がカップリングされたシングルというのは、考え得る最強の一枚だったと。
その時僕は何をしていたのだろう。小学二年生の僕は田舎で大勢の親戚と一緒に紅白歌合戦などを見ていた。茹でた蟹の足など見て、大人はなぜこんな気味の悪いものを食べるのだろうとか考えていた。(なぜか、こういうことは鮮明に覚えているのだ)
なんとまあ凡庸な幼少時代だったのだろう。でも、いまこうして、あのときにポールが「ペニー・レイン」に取り組んでいたのかと思うと、妙な現実感というか時代の雰囲気というものがよみがえってくる。子供だった僕にも、当時はテクノロジーも、芸術も、音楽も、なにか凄い時代に踏み込んでいくという予感を持っていた。
なんだかしらないけれども、世界がとんでもない創造的でめちゃくちゃな時代に踏み込んでいく雰囲気が、子供だった僕の周りにも満ちあふれていたと思う。いったいあれは何だったのか。
2013年の年越し。僕は年末に痛めた腰をかばいながら、別にいつもと変わり映えしなことを考えていた。1966年と同じ、凡庸な年越しだったね。ジョンとポール。そして、あのときアビーロード・スタジオにいたみんなが経験した、音楽の革命。そんなようなものすごいこと。

いまもどこで起きているのだろうか。40年後にみんながひっくり返ってたまげるようなことが。

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イラストはリバプールのペニー・レイン付近の風景です