葡萄酒を見習います

いま、山田洋次監督の著書「映画をつくる」を読んでいる。この本には、謙虚で慎み深く、そしてなによりも映画人として並外れた努力家である監督の、珠玉の言葉が編纂されている。よくぞ1970年代というタイミングで、この本が書かれていたものだ。

「創造する者は語らず、創造するのみ」という信条を持ち、他人の作品の批評も、自作の解説もしたくないという山田監督を説得し、おがみたおして、こういう本という形で残してくれた編集者に感謝の意を表したい。

この本の中で山田洋次監督は、「芸術というものは、アミュージング(楽しく)誰にでも分かりやすいものでなければならない」という趣旨のことを繰り返し語っている。

そういうわかりやすい作品の対極には、小難しい理屈や、説教じみたもの、あるいはひねくれた細工のされたストーリーなどの作品はあるし、なかなか優れたものはあるのだ。時には考え込んだり、がっくりきたりするような映画も見なければならないのかもしれない。

それはそれで、そういう作品の存在も重要なのだが、最終的には、芸術というものの役割は、万人を楽しませ、励まし、元気づける、ごくごくあたりまえのエンタテインメントでなければならない。そういう信念が、山田監督の作品群を貫いているのだということが、よくわかった。

そして、そういう芸術をものに出来る人というのは、例えば「フーテンの寅」を演じた渥美清さんのように、徹底的に自分を鍛え、努力を怠らず、自分自身を無にできるような人にしか出来ないのだ、ということを教えて下さる。なにげない表現で、人びとを感動させること。ごくごく日常的なことで人々の共感を得る。これこそが一番難しいことなのだ。

いま、僕の目の前にある、ワインのボトルとグラス。どちらも自分の心は持たないものだ。しかし、この美しいフォルムの瓶。江戸切り子のグラス。どこかフランスの太陽を受けてそだった葡萄の実。それらがいま、こうして赤ワインという形で揃い、私をアミューズしてくれている。これこそ、無心の芸術というものではないだろうか。この姿、見習いたいと思います。

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