エレクトロニクスな時代


このイラストの道は、「ブラック・ライオン・レイン」といって、ロンドンの西部「ハマースミス」といわれる地域にある。以前つとめていた会社の「海外調査」という目的で僕はこの通りに2ヶ月暮らしていた。ちょうど、湾岸戦争が勃発した年のはじめで、世界を覆い始める不穏な空気はあったが、相変わらず日本では空前のバブル好景気。基本的には楽観的な時代だった。

ロンドンの町並みはこの絵のように、どこを見ても石や鉄に囲まれていて、文字通り「固い」印象を受ける。木と紙の文化で育った日本人にしてみると、町にあふれる音の反響の仕方までが違うような気がしたものだ。

それである時、なるほどと気がついた。こういう「硬質」な環境だからこそ、ビートルズの音楽は、あんなにもドライでかっこいいサウンドになったのか。こんなハードな材質に囲まれた街で、ギターを鳴らしたならば、当然あのように質感のはっきりした、明瞭で重みのある音が出来上がるのかと。

しかし今思えばそんな単純な「発見」は、私のただの思い過ごし。東京のレコード会社のスタジオに障子や畳があって、ロンドンのスタジオの内壁が石造りだなんて、そんなことあるはずない。ビートルズ・サウンドがなぜ、あのように素晴らしいのか。もっともっと明確な答えは、ジョージ・マーティンの自伝にある言葉に残されていると思う。

「(ジョージ・マーティンが音楽産業にはいった1950年は)エレクトロ・レコーディングの時代が、まさにこのころ始まろうとしていた。だからこそ、私は幸運なのだ。私に対する、神のおぼしめしのタイミングは完璧だったというわけだ」[ ☆1 ]

4人の天才とともに、ジョージ・マーティンは、まさにおとずれようとしていた「音楽のエレクトロニクス革命」の波をとらえたのだ。マルチトラック録音(2チャンネルだけど)やダイレクトインプットなどの、ごくごく初歩的な技術とはいえ、ビートルズがレコードを作っていった、EMIスタジオでは、レコード制作の常識をくつがえす、ものすごいチャレンジが日夜行われていく。

ジョージ・マーティンにビートルズ、そこにジェフ・エメリックのような凄腕エンジニアが揃って追求したサウンド。そしてスタジオの外では、日々エレクトリックな技術革命が進んでいた。人間の「耳」にとって、なんという実り多く、創造的な時代だったことか。

なによりも素晴らしいのは、こうした「技術革命」のすべてが、「よりよい音のために完全に使われた」ということだと思う。これは、当時のEMIが持っていた「保守的なほどの完璧主義」によるものであり、スタッフに染み渡る最高の職人気質によるもの。

ビートルズのステレオ版レコードは、ギターやドラムのはいったリズムパートと、ヴォーカルの入ったパートが、奇妙なほどに左右のチャンネルに分かれていることが多い。はじめ僕はこれを、なかなか「新しい試みだ」とか、各パートがばらばらによく聴こえるためなどと思っていたのだが、これも明らかに間違いである。

「アビー・ロード」より前につくられたビートルズのレコードは、すべて「モノラル・ミックスダウン」が基本だった。ヴォーカルが、他の楽器と別のトラックにまとまっているのはそのため。最終段階のモノラル・ミックスまで、ヴォーカルが、他の楽器の音に埋もれるのを最大限に防ぐための当然の手順だったのだ。

ジョージ・マーティンが言う「エレクトロ・レコーディングの時代」は、その後1975年くらいから始まる「デジタル・レコーディング」の時代にとって変わられた。[☆2 ]  ジョージ・マーティンが伝記で語っているが、奇妙なことにこうした音楽の技術革命は、ぴったし25年周期で起こっている。

2000年から始まった新しい25年とは。名付けるとすれば「ネット・ミュージック」な時代、あるいは「ソーシャル・ミュージック」の時代とか。そんな感じ?この時代に僕たちは、どんな新しい音楽を手に入れようとしているのだろう。

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[ ☆1 ] 「ビートルス・サウンドを創った男 - 耳こそはすべて - ( All You Need Is Ears)」 ジョージ・マーティン著 / 吉成信幸・一色真由美訳
[ ☆2 ] 1975年、ソニーが光ディスクの開発を開始。1977年、フィリップスがCDの開発を開始。



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