寸法を間違えると大変なことに
もう5寸になりました |
窓際の棚の上で育っているバジル。本当はトマトスープに入れられるため食用としてスーパーで買われてきた。あんまり小さくて食べるのも可哀想というわけで、こうして育成されている。いまや15センチを越える大きさになった。
15センチといえば、約5寸である。いまや、誰も寸とか尺とか言わなくなったのだが、テレビや舞台の世界では相変わらず、「尺寸法」が使われている。長年の習慣で、僕もいまだにこの寸法が、うっかり口から出ることがある。先日も、ホテルの人に台の高さを聞かれて「3尺か、2尺5寸くらい」と答えてしまい、ものすごく変な顔をされました。
テレビ局の「美術部」というところにはいったばかりの頃、この「寸法」というものをたたき込まれた。最初の何年間かの「研修期間中」は、どの先輩からも「寸法を知ること」がいかに大事であるか、繰り返し教わった。
「ササキちゃん。寸法を間違えると、ほんとに大変なことになるよ」
その時の僕は、その言葉の意味を知ることもなく、「へー、そうですか。20世紀だというのに、尺とか寸とか、ずいぶん大雑把なものですね」などとうそぶいていた。寸法の恐ろしさを身をもって知るまでには、まだまだ数多くの経験を経なければならない、生意気な若造であった。
建築や家具の世界と違って、テレビの世界というのは「何でもあり」である。スタジオに持ち込まれるセットや小道具には、時々へんてこりんなものが登場する。こびとの国の椅子とか、巨人のためのお椀、なんて設定だってあり得る。常識があるような無いような世界なのだ。
デザイナーが寸法を間違える。普通ならその図面を受け取った工房の職人さんは「あれれ、この椅子ってちょっと座面が高くないですか」とか「このドアってちょっと小さくないですか」などと気づくはずである。ところが、テレビのセットの場合には「おそらく、子供用の椅子だな」とか「宇宙船のドアだな」というような理由がたつ。それで「寸法の間違い」がスルーされてしまうことがあるのだ。
ちょっとでかすぎる椅子とか、小さめのドアとか、僕が描いた図面がもとで生まれた、ちょっと変なセットたち。どんだけあったか。それはご想像におまかせします。それに、時には「確信犯的に変な寸法のセット」だって作るんですからね!(これについては、今度また書きます)
こうしたものが出来あがって、スタジオに登場するとき。現場は凍り付きます。デザイナー本人はもう、ブリザードです。スタッフのみんなが、ザワザワと「おい、どーずんだよ、このでかすぎる椅子」とか話しています。オーストラリアのスタジオでは、僕の作ったドアを通るたんびに、役者さんが頭をぶちつけそうになりました。
でもこうした場合でも、大概は、現場の仲間達の工夫のおかげで事なきを得るのであった。カメラアングルを調整してもらったり、他の小道具とのバランスで調整したり。床をあげてみたり。テレビの世界というのは、カメラと照明のマジックワールド。
性格も良く、腕も良い技術スタッフがたくさんいて、僕のようなあわて者デザイナーも命拾いすることができる。まあ、いつもそんな風でした。助けてくれたみなさん、有難うございました。
でもこうした場合でも、大概は、現場の仲間達の工夫のおかげで事なきを得るのであった。カメラアングルを調整してもらったり、他の小道具とのバランスで調整したり。床をあげてみたり。テレビの世界というのは、カメラと照明のマジックワールド。
性格も良く、腕も良い技術スタッフがたくさんいて、僕のようなあわて者デザイナーも命拾いすることができる。まあ、いつもそんな風でした。助けてくれたみなさん、有難うございました。
あのとき僕に忠告してくれた先輩たち。みなさんもそれぞれ「寸法の間違い事件」を経験したのだろうか。それらも、みーんな聞いておきたかったな。それは、テレビ美術草創期の伝説。もうすぐ消えていってしまうのかもしれない。