グラン・トリノ

上り坂と下り坂は、ひとつの同じ坂

ギリシャ時代の哲学者、ヘラクレイトスの言葉だ。坂道というものは、それを登る者にとっては難儀なものだが、下るものにとっては都合がよい。同じ坂道を行き来するのに、登るときには文句を言い、下るときには涼しい顔をする。人間とはそういうものだ。自分の置かれた状況を、よくよく考えてから文句を言いなさいよという警句だ。また、この言葉にはこういう意味もあるだろう。上り調子でうまくいっているときは、そうは続かない。今はうまくいっていても、いつかは下り調子になっちゃいますよ。いつまでも調子に乗ってちゃあかんよ。
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ヒーロー像は不滅

主人公、ウォルト・コワルスキーは、ポーランド移民という設定だが、まるで、荒野の用心棒のように、アメリカン・ヒーローのシルエットを形作っていく。ストーリーラインは、同じクリント・イーストウッド監督主演の「許されざる者」と同様。戦いの一線を退いたはずの孤独のアウトローが、思わぬなりゆきから、愛する者への敵討ちに乗り出さざるを得なくなるという筋立てだ。この辺の作りは、見る者に十分な感情的カタルシスを与えるので、見終わったときの満足感も大きい。

舞台が西部劇の荒野であろうが、犯罪にまみれた現代社会であろうが、ヒーローの役割はひとつだ。悪い奴らにお仕置きをして、この世にある「正義」をたたきつけるのだ。相手は悪い奴ほど良い。そしてその悪い奴がやったことが憎らしいほど、ストーリーは盛り上がる。正義の鉄拳をたたきつけるのが「ヒーローの役割」で、憎たらしい奴がやらかす悪事の数々こそが「ヒーローの存在理由」だ。

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