心のポテンシャル
通常ダムに溜まった水は,社会に大きく貢献する。田畑を潤し,水不足を解消する。高地に蓄積された水は、それ自体がポテンシャル・エネルギーを持っているので、水力発電に利用することもできる。ダムに水が溜まるということは、それだけで人間社会のインフラとして、重要なエネルギーと資源が溜まると言うことである。
ダムに溜まった大量の水が漏っているエネルギーの状態は「準安定」という状態だ。[*1] 水門を閉めた状態では、水はしっかりとダムに閉じこめられていているのだが、一旦水門を開け放てば、そこから斜面を下り落ちる水は、多量のエネルギーを一気に放出する。それに比較して、地中深くに蓄えられた地下水の場合「安定」しているために、そのエネルギーを取り出すことが出来ない。
[*1] ジョージ・ガモフ全集 5 「原子力の話」 p.25より
____________________人間にも、ダムのようにいろいろと溜め込むタイプの人がいる。日々のストレスにしても、勉強の積み重ねによる教養にしても、何らかの形でそれは、一人の人間の中にため込まれていく。それが、その人の人格であり、人生であろう。
人間の一生のうちにため込まれた、エネルギーは時として、いつか巨大な力を持つようになることがある。ヒトラーのような怪物は、まったく異常な形で「人生のエネルギーが蓄積した人間」なのかもしれない。ユダヤ人に対する嫌悪、自分を阻害した社会に対する復讐心、嫉妬、怨念。こうしたエネルギーは、巨大ダムのように溜まってしまっては迷惑だ。迷惑どころか人類全体に対する脅威にすらなる。
人間の場合もダムと同様、内部にためられた「エネルギー」は「準安定」の状態にある。一見おとなしそうな性格の人でも、ひとたび「キレる」と何をやりだすか分からないという場合がある。巨大ダムのように、満々と水を蓄えながらも、ひたすら静かな湖面のみを見せて「安定」状態を続けられる人間を、偉人というのかもしれない。
九州にある「大蘇ダム」の場合、ダムの底の土壌が火山灰質であるためか、工事が完成しても一向に水がたまらないそうである。「大蘇ダム」の場合も、おそらくいつまでたっても、解き放つべきエネルギーはたまらないことだろう。私自身も、内部にはたいした量のエネルギーもたまらない。毎日適度に飲んだり愚痴ったり、ほとんど「水漏れダム」に近い状態である。私のような凡人にとっては、これくらいがちょうど良いのかも知れない。「大蘇ダム」に、ちょっとだけシンパシーを感じている。