ベル先生のおかげで
「電話」を使って遠くに離れた家族や知人と話をする。これほど楽しく嬉しいことはない。人間とはひとりで活きていくことは出来ない、社会的生物なのだし、そのコミュニケーションの大半は「会話」によって成り立っている。
だから「電話」というものは、いつまでもどこまでも発展を続ける。より遠くまで、より鮮明に「会話」を届けるために、「電話」という技術は成長を続けるに違いない。僕の生きている間にはあり得ないだろうが、火星に住んでいる孫からおじいちゃんへ「お誕生日おめでとう」の声が届くという日も、いつかは実現することだろう。
2010年のいま、ついに若者たちは「iPhone」と「skype」の組み合わせで、無料で話せる電話を作り出してしてしまった。自主的無料化。これは電気通信事業法から見れば違法なのかもしれない。でも総務省や電話会社にも落ち度がある。「WiFiによるデータ通信」と「電話による通話」が、見ようによっては同じひとつの技術にくくられるということを知りながら、なんら手を打てなかったのだから。壊すことが出来ると知られた「ベルリンの壁」はいつか破壊される。
もともと、電話がこの世にあるのは、グラハム・ベル先生のおかげ。ベルさんは、電話を発明はしたが、別に電話の専門家じゃない。おじいさんの代から続く、聾学校の先生をやっていて、「ろうあ」の子供達に、一生懸命「会話」を教えているうちに思いついたのが電話なのだ。距離で離れている人にも、身体の障害によって離れている人にも、会話の楽しみを与えたい。それがベルさんの望みだったのだ。だから、現代おける電話の発達と無償化について、最初に特許を取ったベルさん本人も、喜んでいるのではないだろうか。
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