二つの物差し


結局のところ、どっちが良かったのか、さっぱりわからない代表選。白黒わからない前幹事長。進めるのか進めないのか、はっきりしないダム建設。隣国につながるの高校授業料の無償化。世の中、何が良くて何が悪いのかわからない。ものごとがはっきりしないのが、世の中だ。

しかしこれが通用しないのが教育現場。正しい解答というものが、二つ以上あってはいけないというのが、教育の世界での原則である。合格であって同時に不合格というものはあり得ないし、正解であって同時に不正解というものもない。

教育の現場においては「公正なる評価」が強く求められているために、曖昧な答えは、常にゆるされないのだ。はっきりとした、評価をするために、正しいのか悪いか、どっちかしかないのだ。しかし、いずれ大学から実社会へと巣立っていく学生にとって、これでいいのだろうか。

昨日も紹介した鶴見俊輔さんと重松清さんの対談集「ぼくはこう生きている 君はどうか」では、現代の教育現場にも多様な価値観が必要であると、語られている。

かつて江戸時代の寺子屋では、教師は職住一致で近所の子供の面倒を見た。現代の塾講師のように、受験の請負人ではないのだ。当時の教師というのは、人を落とすためではなく、人を育てるために働いた。だから、人間の評価においても、道徳教育の実践においても、多様な価値観というものが、用いられて来た。教養という物差しと、人間という物差しの二本が必要とされていたのだ。

最後の答えは合っていなくてもいい。問題に直面したときの構想力を評価する。そんな多様な考え方を示せる大人の存在が必要なのだ。江戸時代にその役割りを担ったのが、近所のおじさんであり、寺子屋の先生だった。

西郷隆盛、大久保利通も下級藩士である。みんな大衆の中からでてきた。高杉晋作、伊藤博文、キラ星のごとき長州の志士も、萩という狭い地域から出た。吉田松陰という教師は、多様な価値観と愛情を通して、個性豊かな塾生のひとりひとりを育てあげた。

そこにあるのは、情緒の通う共同体(ゲマインシャフト)だけが持つ、人間関係の暖かさなのだ。

人が人を蹴落として競争を強いられる現代社会と、濃密な人間的な情緒をともなった江戸時代。どちらが、優れた人材を輩出できるか、誰の目にも明らかなのではないだろうか。


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