費やした時間
手っ取り早く仕上げた仕事というものは
崩れ去るのもあっという間なのですかね
昨年の6月、東京で開催された「台湾国立故宮博物館展」には、中国の名工たちの作品が並んで話題となった。ミクロコスモスのような翡翠工芸品に残された精緻な技を見ようと、会場の東京国立博物館には、炎天下に長蛇の列ができた。
博物館を訪れた人たちがため息を漏らして見つめたのは、名も無き職人たちがつぎこんだ長い時間の苦行と鍛錬。長い時間を経ても、変わらず人びとから賞賛されるもの。それは、きっと費やされた時間そのものなのだ。
これらの工芸品が作られた当時、世間に聞こえていたのは、これらを所有していた権力者や金持ちの名前ばかりだったのだろう。肝心の芸術品の作者名など、誰も気にしなかったに違いない。
しかし、何百年もの長い時を経て、いま現代に残っているのは、そうした無名の職人たちの技の跡だけなのだ。彼らが無心で成し遂げたこと、そしてそれに費やした時間が、その結晶となって残っているのだ。作品に刻まれて今に残る彼らの魂が。